3大会ぶりに復活した野球競技で、日本が頂点に立った。米国との接戦を制し、正式種目としては初めての金メダルを手にした。両チーム無得点の3回、チーム最年少の村上宗隆内野手(21)が先制の今大会1号ソロを左中間へ。先発した森下暢仁投手(23)が5回3安打無失点とリズムを作ると、継投で守り抜いた。メダル獲得は04年アテネ(銅メダル)以来、17年ぶり。地元開催の重圧に打ち勝ち、1次リーグ初戦から5連勝。侍が頂点に立った。

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村上がほえた。3回1死。カウント2-2から、ソフトバンク・マルティネスの浮いたチェンジアップを捉えた。横浜の夜空を切り裂く。左中間席最前列で弾む打球を確認すると、両手をたたき鋭い眼光のまま感情を爆発させた。

ナインの手荒い祝福に両腕を天に突き上げながら、誇らしく、照れくさく笑って応えた。プロが参加した00年シドニー大会以降では日本代表の五輪史上最年少弾で金メダルに貢献。「チームで取った1点だと思う」と仲間を思った。

青春時代の屈辱が若き主砲を奮い立たせた。熊本東リトルシニア時代は、九州選抜チームに選ばれ台湾遠征で、長崎シニアの増田珠(現ソフトバンク)、熊本北シニアの西浦颯大(現オリックス)と主軸を張って戦い抜いた。14年U15W杯では増田や西浦が招集された一方で落選。九州学院時代もU18日本代表に選出されず日の丸が遠かった。

13年ぶりに五輪競技として野球が復活した東京五輪。昨季はヤクルトで全試合4番を担い、28本塁打。今季もここまでリーグ2位の26本塁打を放ち、セ・リーグを代表するスラッガーへと成長した。「日本のために、日本の皆さんのためにやれたらなと思いますし、野球全体の、NPBの方も背負っている。それに恥じないプレーはしたい」と夢舞台に並々ならぬ覚悟で臨んだ。8年越しに念願の歓喜の中へ。チーム最年少の21歳は、無邪気にヤクルトの先輩山田をお姫さま抱っこして、喜びを爆発させた。

8番を担った今大会。7年後のロス五輪で野球が開催されれば、28歳で主砲として期待される。連覇への道が開けたら-。「脇を固めてくれる選手の気持ちが分かった。また日の丸を背負って4番を打てる時がきたら、その気持ちをたくさん背負ってやっていきたい」。若き侍が未来を見すえた。【湯本勝大】

▽稲葉監督(村上の1発に)「あそこはちょっと重たい空気だったんですけれどもね、あの1発で、こっちに流れが来たと思います。ムネには『これからのジャパンはおまえたちが引っ張っていくんだ』と伝えた」

 

▼21歳6カ月の村上が五輪初アーチ。過去の五輪では84年ロサンゼルス大会の荒井幸雄(日本石油)、96年アトランタ大会の福留孝介(日本生命)がそれぞれ19歳で本塁打を放っているが、五輪に参加したプロでは08年北京大会の西岡剛(ロッテ=当時24歳0カ月)を上回る最年少の1発となった。