オリックスが1996年(平8)以来、25年ぶりにパ・リーグ優勝を決めた。この日、2位ロッテが楽天に敗れて決定。京セラドーム大阪で待機していた中嶋聡監督(52)をはじめ、ナインが喜びを爆発させた。12球団で最も優勝から遠ざかっていたが、OBで就任1年目の中嶋監督が負け犬根性を払拭(ふっしょく)。NPB最多の実働29年の経験を生かした数々の改革で、ナインを躍動させた。

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勝利の血をたぎらせ、最後は鼓動を1つにした。オリックス中嶋監督は歓喜の輪で3度、宙に舞った。支えてくれるのは、最後まで信じ切ったナインたち。両手を目いっぱい広げ、パ・リーグ頂点に酔いしれた。

「2年連続最下位からのスタート。チームをどうにか変えようと、選手に言った。絶対にトップを取ってやろうなと」

喜ぶ顔のために、引き受けた。日本ハム在籍時の18年オフ。「古巣に力を貸してくれないか」とオファーを受けた。用意されたのは1軍バッテリーコーチか2軍監督のポスト。即座に「若手選手の育成を」と後者を選択し、19年に入閣した。一滴ずつ「勝利への執念」を注入し、97年からV逸が続くチームの負け犬根性一掃に全力を注いだ。

昨季途中に監督代行に就き、今季から正式に監督就任。「育成&勝利」をテーマにチーム作りを行い、2年連続最下位からいきなり頂点まで導いた。「若い選手を使うだけが育成じゃない」。年齢ではない。「熟成して、負け癖から勝ち癖を。個々の力は引けを取るものはない。試合運びさえ…と、ずっと思っていた」。目をつけたのは2軍監督時代に素質を見抜いた“中嶋チルドレン”だった。

3番吉田正を軸に、2軍生活が続いていたラオウ杉本の潜在能力を買い、4番に置いて覚醒を導いた。福田のセンター挑戦は志願した心意気を買った。外野登録で守備センス抜群の宗には「三塁、やってみないか?」。19歳紅林が躍動すると、安達を遊撃から二塁にコンバート。投手陣も昨年2軍で育てた宮城に開幕2戦目を任せて大ブレークさせるなど眼力を証明した。

NPB最長の実働29年、捕手の経験を生かした中嶋改革も光った。「3連投厳禁指令」。救援陣の負担を減らすためで8回ヒギンス、9回平野佳の必勝継投ですら2連投にとどめた。12球団で唯一、3連投がなかった効果は抜群で、同一カード3連敗が一度もないままゴールテープを切った。

大胆な起用も中嶋流だ。高卒1年目の来田を7月の日本ハム戦でスタメン起用すると初打席で初本塁打。V争い佳境の残り2試合で、来日後の左手首骨折で実戦から2カ月離れたラベロをデビューさせた。投手の山崎福は打者としてベンチ入りさせたことも。「簡単に負けなくなった。全員が諦めなくなった」。連敗すれば、敵地でも全体ミーティング。マイナス発言は一切ない。固定観念のない采配にナインは躍り続けた。

裏方にも気を配った。真夏の大阪・舞洲。酷暑の労働環境を思い「B」が刻まれた日焼け除け帽子をスタッフに贈った。ボール拾いやグラウンド整備のトンボ掛けは率先。打撃投手の誕生日を祝ったこともある。

オリックスでの現役時代は、阪神・淡路大震災で傷ついた街を元気づけようと「がんばろうKOBE」を合言葉に95、96年にリーグ2連覇。だがその後、近鉄との統合も経たチームは低迷が続いていた。「25年間、優勝できてない。そこがクローズアップされて…。今の選手が優勝の経験を積んで、新しい歴史を作ってくれた」。古巣に帰ってきた意味が、ここにあった。

チームの合言葉は「挑戦者」。中嶋監督が選んだメッセージで「CSファイナル、緊張したゲームになる。次のステップに進んで、そこでもトップに立ちたい」と貪欲に進む。最後の阪急戦士が、良質な“勝利の血”を一滴ずつ落とし込んだ。改革が生んだ尊い栄光。目指すは、日本一の景色だ。【真柴健】