興南高、京大などで監督を歴任した比屋根吉信氏が4日午後8時29分、熊本県内の自宅で、体調を崩して死去した。70歳。

内野手だった報徳学園、投手だった大体大を経て西濃運輸に所属し、日本選手権にも出場。監督としては、興南で春夏計6度甲子園に導き、1980年の選手権大会ではベスト8入り。当時の沖縄では豊見城、沖縄水産などで名監督だった栽弘義氏が知られたが、比屋根氏が興南を強豪校に育てながら野球王国沖縄の勢力図を変えた。その後は、社会人の阿部企業、有明高、09年秋のリーグ戦終了後から、関西学生野球リーグの京大で監督として指導にあたった。

興南高の教え子として元阪神仲田幸司氏、元横浜デニー友利ら、京大初のプロ野球選手になった元ロッテ田中英祐らを輩出。長男・亮太氏(33)は「いつかはと覚悟していましたが、年明けになって急に体調を崩しました。尊敬できる父でした。指導者としては、いつも野球人である前に、『人として』を強く教えていたと思います」と語った。本人の意向で家族葬で執り行われる。