巨人ドラフト3位の赤星優志投手(22)が“1番星”をつかんだ。阪神打線に7回4安打2失点の好投で、セ・リーグ新人一番乗りでプロ初勝利を手にした。

【ニッカン式スコア】3日の巨人-阪神戦詳細スコア

前回3月27日中日戦に続く、プロ2戦目の登板で初のお立ち台にも上がった。6人きょうだいの末っ子で泣き虫だった幼少期は家族から「泣きむん」と呼ばれたルーキー右腕。新星が堂々たる投球でチームを6連勝に導いた。

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鉄仮面の赤星が笑った。ウイニングボールを右手に原監督と並んでカメラのフラッシュを浴びた。「本当にうれしいです。(初勝利と初安打の記念球は)2つとも親に渡したいと思います」と尻ポケットに大事にしまった。いつも通り、淡々と、丁寧に、2失点で7回を投げきった。1回2死二塁、佐藤輝を空振り三振に斬っても、ガッツポーズはない。風格を漂わせながら、ポーカーフェースに勝ちをつかんだ。

野球を始めたばかりだった小学生時代。人数不足で存続危機の弱小チームのエースだった。投げても投げても、打たれる。負ける。悔し涙は、誰にもバレないように帽子のつばをスッと深くかぶる。6人きょうだいの末っ子で、パワフルな姉たちには勝てなかった。また泣いた。赤星家では「泣きむん」と呼ばれた。人一倍の負けず嫌いだから悔しくて涙があふれ出た。

物心がつく前の2歳のときにヘルニアの手術を受けた。小児病棟はそこら中で幼児の泣き声が響く。涙をこぼしながらも、本能で声を押し殺した。2歳で初めて自転車に乗った時も、世田谷公園のアスレチックを軽々こなした時も同じだった。悔しいから、最後までやり切った。

何でも器用にこなせるセンスの持ち主…と思われていた。でも実際は違う。母笑子さんは「優志はすごい人じゃない。できるまでやる、努力の人なんです」とどんどん背中が大きくなっていく息子を評した。

デビュー戦では、母ときょうだい、闘病中の父篤志さん(58)が車いすでスタンドから見守った。プロで活躍する姿をどうしても見せたかった。1週間後、テレビ観戦する両親に恩返しの白星をプレゼントした。「小さい頃から応援してもらったので、初勝利をあげられてうれしい。ウイニングボールは親にあげたい」。悔し涙はない。晴れ晴れとした表情で、初白星をかみしめた。【小早川宗一郎】

▽巨人原監督(先発でプロ初勝利を挙げた赤星に) 見事だったと思います。リズムもいいし、球種が多いということも左打者の胸元に真っすぐを放れている。相手打者は印象としては手ごわいなという印象があったんじゃないでしょうか。

▽日大・片岡昭吾監督(教え子の巨人赤星の初勝利に) 菅野がいるので、あそこに追いついて追い越せるように、球界を代表する投手になってほしい。早くからこういう投球ができるとは思ってもみなかったが、本人ががんばったんでしょう。サイズのない右投手が活躍してくれると、うちの投手陣も目指すところが一番身近なところにある。

<赤星優志(あかほし・ゆうじ)>

▼生まれ 1999年(平11)7月2日、東京・世田谷区生まれ

▼経歴 日大鶴ケ丘-日大を経て、21年ドラフト3位で入団

▼サイズ 175センチ、78キロ

▼球種 最速152キロの直球に、変化球はスライダー、フォーク、カット、ツーシーム、カーブと多彩

▼スタミナ 日大時代に投げ込みノルマは「1カ月で3000球」。1日に200球以上を投げ込む日もあった

▼鉄仮面 「ガッツポーズのやり方が分からない」と言うほど、感情を表に出さない

▼ハナガミ王子 入寮時に鼻炎のため、大量のティッシュを段ボール箱で持参したことを明かした

○…赤星の父篤志さんと母笑子さんは、末っ子の初勝利を自宅のテレビ画面から見届けた。笑子さんは「優志、初勝利おめでとう。初ヒットおめでとう(笑い)。みんなに後押ししていただけた勝利、今後も謙虚に取り組んでください」とメッセージを送った。篤志さんは、ヒーローインタビューが始まる前から、テレビの前で声を出して号泣。笑子さんは「走馬灯のように(思い出が)よみがえり、今をうれしく思う気持ちだと思います」と代弁した。