元阪神の名三塁手で、21年3月3日に86歳で死去した三宅秀史(みやけ・ひでし)さんをしのぶ会が13日、西宮市の「やっこ旅館」で知人、関係者33人で営まれた。ショート吉田義男と組んだ鉄壁の三遊間は今なお伝説。連続フルイニング700試合出場は、04年に金本知憲が更新するまでプロ野球記録で「元祖鉄人」で知られた功労者だった。

62年9月6日大洋戦(川崎)前のキャッチボールでボールが左目を直撃。なかなか視力が戻らず、67年に引退する引き金になった。

同期入団で、85年阪神日本一監督の吉田さんは「苦楽をともにした球友として誇りです。ユニホームを脱いだ後も、このように親しい人々に囲まれて幸せだったと思います」としのんだ。三宅さんが生前、現役時代の背番号が同じ「16」だった岡田彰布監督を気にかけていたことを知る吉田さんは「来年は監督を支えるコーチが大事。ぜひ“アレ”を成功させてほしい」とあいさつした。

〇…晩年の三宅さんは三重県鈴鹿市に暮らし、同県尾鷲市出身の湯浅が18年に阪神入りした直後の激励会に出席するなど縁があった。この日の会では、湯浅から「ケガに最大限の注意を払うように言われました。天国から見守ってください」とメッセージが届いた。また、尾鷲市の加藤千速(ちはや)市長(74)は「来年には後援会を発足させたい」とあいさつ。阪神からは筒井外野守備走塁コーチが出席した。