かつてロッテの本拠地だった川崎球場時代の照明塔2基が1月10日に解体、撤去されるのを前に、照明塔が残る川崎市の富士通スタジアム川崎で7日、お別れイベントが行われた。

昨年11月に逝去した村田兆治さんをしのぶ献花台も設けられ、村田さんとプレーした西村徳文氏、水上善雄氏、倉持明氏、小俣進氏という往年の名選手が出席。会は「村田兆治さんの思い出を胸に去り行く照明塔を見送る会」と題され、4人が球場や村田さんのさまざまな思い出を集まった約800人のファンに語った。

オリックス監督も務めた西村氏は「レギュラーを取らせてもらったのもこの球場。最高の場所だった」と振り返った。入団当時、村田さんはすでにスーパースター。「エラーをしてマウンドに行くと『お前はエラーをしてもいい。声を出していればいい』と言われ、気持ちが楽になった。『この世界は、練習した者勝ちだ』ともいわれた。ありがたい言葉をかけてもらった」と話した。

水上氏は「川崎球場の照明はちょっと暗めで、フライが上がると周りが私の顔を見て…(笑い)。よく捕れました」と、ショートを守っていた時の思い出を語った。ロッテ在籍最終年の1989年に村田さんが200勝を達成したが、自身がデッドボールを受けて試合に出られない期間があり「俺が守る試合まで(200勝)勝たないでほしい」と祈ったという。結果的に、自身が出場した山形での試合で200勝達成となった。現役時代には髪を伸ばしていたが、村田さんに「そのままでいろ。変えるな」と励ましてもらったという。「村田さんのように、強い意志を持ち生きていきたい」と話した。

倉持氏は「村田さんの練習態度を見て(その姿に)ついていかないといけないと思った。空の上からプロ野球を見守っていてほしい」と語りかけ、小俣氏は「親しんだ球場のライトが消えるのは寂しい」と、照明塔との別れを惜しんだ。

イベントの最後には、夕暮れに浮かんだ照明塔の柔らかい明かりを、全員で見送った。

川崎球場の照明塔は1954年(昭29)に建設。時間をかけてじわじわ明かりがともるのが特徴で、球場閉場後も一部が残されたが老朽化が進行。19年、残された照明塔やフェンスの文化財登録を求める請願が市に行われたが、最終的に撤去が決まった。

残っていた照明塔3基のうち1基はすでに解体、撤去された。中心になって請願活動を行ったのは野球実況でおなじみのフリーアナ松本秀夫さん。将来的に、コンクリートの足場と照明塔の一部を残したモニュメントが作られる予定だといい、球場の記憶を未来につなげていく。【中山知子】