オリックス平野佳寿投手(39)が日米通算250セーブを達成した。9回のマウンドに上がり今季29セーブ目を挙げて、名球会入りの条件となる節目の数字に到達した。

大リーグ時代に出版された著書のタイトルは「地味を笑うな」。これは編集者が付けたものだが、自身について「地味なんで」と言っていた平野佳は、恩師である京産大野球部元監督の勝村法彦氏(66)に言われたことがある。「地味ではなしに、地道なことをしっかりコツコツできる選手やと思うで」。地道な積み重ねが、この日の偉業につながっていた。

鳥羽高では故障もあり背番号1を背負えず悔しい思いもしたが、京産大で才能が一気に開花。05年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団した。

転機は10年。当時1軍監督に就任した岡田彰布監督(65=現阪神監督)の大胆な策で、先発から中継ぎに転向。平野は「(適性を)見抜いてくれて、中継ぎで行けるんじゃないかと感じ取ってくれた」と感謝する。

17年12月にダイヤモンドバックスと契約し、大リーグに挑戦。ダイヤモンドバックスで2年、マリナーズで1年を過ごし計150試合に登板。9勝9敗、8セーブ48ホールドの成績を残し、21年シーズンからオリックスに復帰した。

復帰会見では、今も続ける丸刈り姿で登場。「コロナ禍で厳しい状況の中、快く迎えてくれた球団に感謝しています。それには優勝でしか返せない。本当に優勝目指して、体がボロボロになるまでオリックスのために頑張りたいと思います」。古巣への恩返しを誓っていた。

その誓い通り、21年は29セーブ、22年は28セーブを上げてリーグ連覇と日本一に貢献。今季もここまで29セーブを挙げ、リーグ3連覇への大きな戦力となった。次は2年連続の日本一へ。守護神はまだまだ腕を振り続ける。【磯綾乃】

▼平野佳が今季29セーブ目を挙げ、史上4人目の日米通算250セーブ(S)を達成した。初Sは10年7月28日日本ハム16回戦(スカイマーク)で、内訳は日本で242S、MLBで8S。日米通算250Sは佐々木主浩381S、高津臣吾313Sに次ぎ3人目。日本だけで250S以上は407セーブの岩瀬(中日)と佐々木、高津の3人だけ。

▼平野佳は5月に日米通算200ホールドも達成。日米250セーブ&200ホールドは史上初だ。

▼平野佳は先発だけで18勝をマーク。14完投で9度の完投勝利もある。過去の通算250セーブ到達者で、これらの先発成績はいずれも最多だ。岩瀬、佐々木は完投ゼロ。高津は4度の完投(いずれも勝利)があるだけ。平野佳は先発&中継ぎ&抑えの「三刀流」で、快挙を成し遂げた。

◆平野佳寿(ひらの・よしひさ)1984年(昭59)3月8日生まれ、京都府出身。鳥羽から京産大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックス入団。5年目の10年から救援に本格転向。13年に通算100ホールド到達。14年の40セーブは当時パ・リーグ新記録だった。16年に通算100セーブ達成。17年オフにFA宣言しダイヤモンドバックス入団。20年はマリナーズに在籍し、21年からオリックスに復帰。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。

【日米通算セーブ数上位10傑】

(1)岩瀬仁紀(中日)407

(2)佐々木主浩(横浜)381

(3)高津臣吾(ヤクルト)313

(4)平野佳寿(オリックス)250

(5)藤川球児(阪神)245

(6)松井裕樹(楽天)235

(7)小林雅英(オリックス)234

(7)サファテ(ソフトバンク)234

(9)山崎康晃(DeNA)227

(10)益田直也(ロッテ)218

 

▽オリックス中嶋監督(平野佳に)「本当に体が元気でしたらいつまでも投げたらいいと思いますし。この数字だって通過点かもしれない。目指すところは目指したらいいんじゃないですか」

◆日本プロ野球名球会 日米通算250セーブをマークした平野は、名球会入りの資格を得た。名球会は78年に設立され、野球振興、社会貢献を目的にする団体。入会資格は日米通算で投手なら200勝または250セーブ、打者なら2000安打以上。入会資格に相当する記録保持者が、特例で入会する制度もある。理事長は古田敦也氏。

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