蔵前国技館最後の優勝力士で、賜杯獲得後の十両V(史上2人)という珍記録も達成した鏡山親方(58=元関脇多賀竜)の現役時代。最高の思い出は85年初場所2日目、横綱北の湖を初撃破した相撲だ。「優勝もうれしかったけど、やっぱり重みが違うよ」。その翌朝、優勝24回の大横綱は引退。結果的に最後の相手となっただけに、感慨深い。

 徹底した四股で鍛えた現役中は故障もなかったが、10歳のころ「生死の境をさまよった」。サッカーゴールのクロスバーで逆上がりを試み転倒。地面で後頭部を、倒れたゴールで顔を強打した。傷痕は今も額に残るが、当時はひどく「ムカデみたい。旗本退屈男のようだった」と苦笑する。

 先代の元横綱柏戸に「遅刻、欠勤だけはダメだ」と口酸っぱく言われた新米親方時代から、はや25年。今は亡き北の湖前理事長を「尊敬の念以外なかった」と慕い、背中を見ながら協会のために尽くしてきた。

 新体制で任せられた役職は、総合企画部長など多岐に及ぶ。「主に危機管理(部長)。オレが暇なことは、協会にとってもいいことだから」。4月に開いた違法賭博など不法行為排除の研修会も定期的に開く予定。「常にうるさく言っておかないと」。眼鏡の奥の目を光らせた。【木村有三】

 ◆鏡山昇司(かがみやま・しょうじ)元関脇多賀竜。本名・黒谷昇。1958年(昭33)2月15日、茨城・日立市生まれ。74年春初土俵。84年秋に西前頭12枚目で13勝し幕内優勝。91年夏で引退。年寄「勝ノ浦」襲名。96年12月「鏡山」襲名。現幕下竜勢は長男。