14号車-16列-C。帰りの新幹線に乗ろうと、新大阪駅の自動券売機で購入したチケットを見て、目が点になった。まさか、ちょうど1日前に自分だけタイムスリップしたんじゃないか…。その、まさかだった。前日の2月5日。東京駅から新大阪まで乗車した新幹線と、全く同じ座席だ。希望として「C席」はリクエストしたが、号車番号、列番号も同じとは何たる偶然か、いや何かの運命なのだろうか-。身震いしそうな体を座席に沈めると再び、やるせない気持ちに襲われた。「千葉ちゃんは、この新幹線の座席に座りながら天国への階段を上ってしまったんだな…」。涙腺がまた緩んだ。

2月1日。千葉公康さんが57歳の生涯を閉じた。今から30年ほど前、若貴フィーバー全盛時に猛稽古で知られた藤島部屋を、縁の下から支えた一人。「新花山(あらたかやま)」のしこ名で幕下上位まで番付を上げたが、心臓の疾患もあり28歳で現役を引退した。東大阪市で、ちゃんこ料理店を営んでいた千葉さんは、東京での所用を済ませ大阪に戻る新幹線の車中で、心臓の苦しみと闘いながら、搬送された病院で他界した。さぞ、無念だったろう。やりたいことは、まだたくさんあったはずだ。わんぱく相撲で教えた何人かが、相撲部屋に入っている。彼らが関取になるのを夢に見ていただろう。付け人も務めていた元大関貴ノ花(元二子山親方)の命日には、中野新橋にあった昔の藤島部屋(その後、二子山部屋)の跡地で、いつか当時の仲間と酒を酌み交わすんですよ、と話していた。「その時は渡辺さんも来てよ」と言ってくれた、あの約束は…。夢は夢で終わってしまった。

驚かされたのは、その人望の厚さだ。東大阪市内で営まれた通夜、葬儀に参列させてもらったが、広い葬祭場に参列者があふれ数百人もの友人、知人が故人を悼んだ。半端なく慕われていたんだろう。武蔵川親方(元横綱武蔵丸)はじめ多くの親方衆ら大相撲関係者の供花も会場を埋め尽くした。番付一枚違えば虫けら同然-。厳しい競争社会の角界にはそんな言葉があったが、それは現役時代のものでマゲを落とせばノーサイド。親方にも関取にもなれなかった千葉さんだが、人懐っこい真っすぐな人柄が、年齢や番付に関係なく人々を引きつけた。常盤山親方(元小結隆三杉)、錣山親方(元関脇寺尾)、西岩親方(元関脇若の里)…。千葉さんとの会話の中で、親交の厚い親方衆の名前が、たびたび出てきたのも「親方!」と呼ばれていた千葉さんの人柄をしのばせる。

そんな千葉さんのエピソードや会話を通して、古き良き角界を記したコラムを何本か書いてきた。これも奇遇なことで、ちょうど1年前の2021年2月19日、千葉さんの人柄を込めて私が執筆した、日刊スポーツコムのコラム「大相撲裏話」がアップされた。それをご一読いただき、故人をしのんでいただけたら幸いです。


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スマホの着信音が鳴った。メールやラインではない電話のそれだ。昨今、連絡のやりとりは“文字通話”で事足りている。味気ないとも思うが、電話が鳴ることはめったにない。はて誰だろう…。スマホのディスプレーには、毎年3月に必ず会う旧知の相撲関係者、いや友人の名前が表示されていた。奇遇なことに、自分も今日か明日にでも声を聞きたくて電話しようと思っていた。以心伝心とはこんなことを言うんだろうな…。そんな言葉を胸の中でつぶやきながら、受話器マークを押すなり「残念だったよね、場所がなくなっちゃって」。時候のあいさつもそこそこに、いきなりこちらから発した。

6年前、二十数年ぶりに相撲取材の現場に戻った私は、春場所初日の前日は必ず、その友人が開く、ちゃんこ料理店に足を運んだ。私にとっては、その絶品の鍋を食べなければ春場所は始まらない。その恒例行事もコロナで奪われた。3月14日初日の春場所は、東京・両国国技館での開催だ。

「いや…、春場所が4月だったら開催できたかもしれないけどね…。緊急事態宣言が出てて、こればかりは仕方ないけどさ。(旧知の親方衆や関係者が)毎年、大阪に来たら来たで気を使って大変は大変なんだけど、やっぱり大阪で本場所がないってのは寂しいよね。生徒に会えないのもさ」。

私の第一声に対し、速射砲のように返す千葉公康さん(56)は、当時の二子山部屋に入門し80年春場所、初土俵を踏んだ。大関貴ノ花の内弟子として付け人も務め、部屋創設とともに藤島部屋へ移籍。12年半の土俵生活で、関取間近の幕下13枚目まで番付を上げたが、命にもかかわるほどの首痛で引退した。若貴フィーバーの真っただ中、チャンコ番などで縁の下からも人気部屋を支えた1人だ。

引退後、地縁のなかった大阪で、ちゃんこ料理店「ちゃんこ新(あらた)」を開く一方、小中学生の相撲少年を指導。その道場を巣立った少年が多数、角界入りし明日の関取を目指している。「生徒に会えないのもさ」の言葉に、寂しさがにじみ出ていた。

教え子を相撲界に送り出している縁もあり現在も、いくつかの部屋の師匠らと親交がある。関係者からの話を聞くほどに、制約の多い相撲部屋生活を憂いもする。昨年、コロナ感染が一休みした頃、東京のある部屋に行こうか…と思ったが、部屋の玄関で迎えられたとして、すぐに直行するのは風呂だと聞いた。

「感染予防なんですね。若い衆がコンビニに買い物に行っても、すぐに風呂に入らされるようなんです。冬も夜、窓を開けっぱなしで寝ているそうですよ、換気のために。床暖房で何とかしのいでるらしいけど、震えながら寝てるって。そのへんは本当に徹底してますよ、相撲界は」。東京行きはあきらめた。八百長問題が発覚し中止された10年前に続き、2度目の悲運に見舞われた浪花の春。昨年の開催も無観客だったことを考えれば、大阪の相撲ファンは、この11年で3度も観戦の機会を奪われたことになる。友人が嘆くのも無理はない。

だが、そんな相撲を愛する大阪のファンを角界はむげにはしない。かの友人の元に、ある部屋の師匠から先日、電話が入った。場所の開催を告げる、本場所会場に掲げられる、幟(のぼり)の掲出依頼だった。「大阪の人の名前で幟を立てたいんだ、春場所だから。『ちゃんこ新』の名前で。名前を借りるよ!」。本来、制作費などの費用は、いわゆる「広告主」が持つが、それはヤボな話というもの。経費は部屋で持つという。無念の思いをくみ取ってくれたのは、二子山部屋で同じ釜の飯を食い、4学年上の兄弟子だった常盤山親方(元小結隆三杉)だった。兄弟子とか番付の違いなど、時を重ねれば関係ない。長年、築いた信頼関係が絆となった。

両国国技館開催の春場所の、たまり席も「今回は大阪場所向けということで、そういう方を優先する」と芝田山広報部長(元横綱大乃国)も、大阪の維持員会を優先してチケット配分する方針を打ち出している。距離は離れていようとも、相撲界を支えようという思いに距離はない。来年こそきっと、大阪にも春を告げる本場所が戻ってくる。触れ太鼓が鳴らない今年は、両国の空に、春風に乗って大阪の心がこもった幟がはためく。


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千葉さんが首を長くして待っていた3月の春場所が「大阪場所」としては2年ぶりに戻ってくる。今でも亡くなったことが信じられない。ただ、その姿はなくとも、相撲を愛し、情熱を注ぎ続けてきた千葉さんの魂は、きっと大阪の土俵に宿っているはずだ。そう信じている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

経営する「ちゃんこ新」で日刊スポーツの相撲担当記者に囲まれる、在りし日の千葉公康さん(左から2人目)
経営する「ちゃんこ新」で日刊スポーツの相撲担当記者に囲まれる、在りし日の千葉公康さん(左から2人目)