人との縁を感じているのは、師匠も同じだった。昨年8月10日、西三段目筆頭の雷道(いかづちどう、20=雷)は、母の死に直面した。失意の中、1週間後に部屋に戻ってきた雷道に、雷親方(46=元小結垣添)は言った。「今日から、オレがお前の親だ」。愛弟子は、こみ上げる涙を必死にこらえていた。雷親方は「私もショックでした。とっさに出たのが、その言葉でした。何とか、この子を守りたい、元気づけたいという思いでした」と振り返った。大相撲の師弟関係には、実の親子に勝るとも劣らない絆が生まれるとされる。まさに親心だった。

心中を察するに余りある状況だった。雷道が52歳の母、山田珠己さんの死に直面したのは、すでに死後約1カ月後。1週間の稽古休みで、各力士が帰省を許され、雷道も埼玉・草加市の実家に戻ると、部屋で母が亡くなっていた。真夏で腐敗が進んでおり、骨まで見えていたため死因は不明。家の中で熱中症などで倒れ、誰にも気付かれずに亡くなったとの見解だった。

報告を受けた雷親方はすぐに、おかみの栄美夫人とともに葬儀などの手続きを進めた。雷道はナイジェリア人の父とは、小学3年時に離婚して以降、会っておらず、母方の祖父母など親戚は全員、早くに亡くなっていた。葬儀には部屋の力士全員で参列した。23年2月に入間川部屋を継承、部屋の名称を「雷部屋」の変更して当時は1年半。師匠も弟子も若い部屋は、家族のような一体感があった。悲しむ仲間を元気づけたいと、献身的に働く力士たちの姿に、雷親方も、雷道も胸を打たれた。

雷親方が、初めて雷道と対面したのは、東京・修徳高の柔道部の練習だった。年は離れているが、日体大の先輩、後輩の縁で、常に気に掛けてくれたのが、修徳高柔道部の大森淳司監督。同監督は「あの子は化けるかもしれない」と、相撲で大成する可能性を秘めた逸材と評価していた。当時、雷道は90キロ級の選手で、内股を得意としていた。50メートル走を5秒9で走るなど、身体能力の高さは誰もが認めるところ。何よりも真面目で、努力家の性格と聞かされた。心身ともに魅力的で伸びしろのあった雷道にほれる形で、雷親方は大森監督を通じて熱心にスカウト。部屋継承前の22年春、雷道は高校を中退して雷部屋に入門した。

そもそも中学3年時に、柔道の73キロ級で埼玉県個人4強入りしたことで、大森監督の目に留まった。家は貧しく、経済的な理由から、私立高に通うのは難しいと雷道は考えていたが、大森監督が授業料を援助してくれた。そんな恩人の紹介で、生涯の恩人、親代わりとなってくれる雷親方と出会うことになっていた。

雷親方は「コツコツと努力をする子。強豪高の柔道部にいて、基礎体力はある反面、柔道のクセが抜けずに、内股に似た掛け投げをすぐにやってしまう。でもケガにつながるから、やはり前に出る相撲を身に着けさせたい」と、将来像を描く。右を差してからの寄り、押しなどで、白星を重ねられる潜在能力があると認めるからこそ、粘り強く指導している。

厳しい稽古に、前に出る足が止まると「天国の母ちゃんのためにも頑張れ!」と、ゲキを飛ばし、最後ひと踏ん張りの力を発揮させた。雷道は今場所、12日目で負け越しが決まったが、1年前は序二段だった番付が、幕下と三段目を行き来するほど、実力は底上げされた。雷親方は「修徳高を強豪校にした指導者歴の長い大森先生が『化けるかもしれない』というほど。あとは自分が化けさせるだけです」と、指導者冥利(みょうり)に尽きる逸材として、関取に昇進する将来を楽しみにしている。親方と弟子以上の絆となった師弟は、同じ夢を見て二人三脚で歩んでいく。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

雷親方(元小結垣添)(2022年9月撮影)
雷親方(元小結垣添)(2022年9月撮影)