新日本プロレスの棚橋弘至(45)が、団体創設者のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日に79歳で死去したことを受け、「僕が今でも一番のファン」と熱い思いを打ち明けた。英国ロンドン大会に参加中の棚橋は日刊スポーツのインタビューにオンラインで応じ、過去の確執から現在に至るまで、「脱・猪木」の急先鋒(せんぽう)と言われた男が赤裸々に語った。

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棚橋が訃報に接したのは、遠征先のロンドンに到着した時だった。「ついにきたか…」。そう思ったという。最後に猪木さんに対面したのは1、2年前。猪木さんを囲むパーティーの席だった。その場でかなり病状はよくないということを察した。あいさつのみでプロレスに関する話はできなかった。だが、その目力から往年の「闘魂」を確かに感じ取ったという。

大学1年生のころ、京都から夜行列車を乗り継いで観戦に行った98年4月4日の東京ドーム、猪木さんの引退興行。「僕らにとって漫画の主人公。本当に年を取らない存在じゃないですけど、空想上の生き物みたい」。目を輝かせた棚橋青年が見た、あの時と変わらない真っすぐな瞳だった。

過去を振り返れば、猪木さんとの関係は単純なものではなかった。むしろ相対する関係にあった。02年1月の北海道大会(札幌)で突発した伝説の「猪木問答」では、総合格闘技に肩入れしてプロレスの低迷期を迎えるきっかけを作った猪木さんに対し「俺は新日本のリングでプロレスをやります!」と言い切った。「1、2、3ダーッ!」も1人だけやらなかった。

団体再建へ旧体制に大きな変化を求め、07年には道場に飾られていた猪木さんのパネル写真を外すことを提案した。「猪木さんのやり方は正しくない。あの頃は、総合(格闘技)とプロレスを交ぜるのは違うと思っていました。プロレスはプロレスの良さがあるという思いがあったので、立場の違いが意見の違いになりました」。猪木さんを支持するファンからはさげすまれ、やり玉にあげられた。

だが、今はその存在に感謝しかないという。「猪木さんがいらっしゃったから、相対的な概念として僕が生まれたわけで、猪木さんがいなかったら今の僕はいないと思います」。団体を背負う立場のレスラーとなったからこそ、あの時の猪木さんの気持ちがわかる。

「自分が最強だとうたって盛り上げてきたプロレスを否定される悔しさや悲しさは絶対にあったと思う。僕と猪木さんではアプローチの仕方が全く違ったけど、プロレスが好きな人を増やしたいという思いは一緒だと思いますね」

棚橋は今でも「僕が一番のファン」と断言する。根底にあるプロレス愛は、絶対的な共通項だと信じて疑わないからだ。

忘れられない出来事がある。棚橋は02年の暮れ、交際していた女性に刺されて入院するトラブルを起こした。一時は意識不明に陥る大けがを負った。その退院直後、復帰も未定の時期に猪木さんから福岡の総合格闘技の会場に呼び出された。当時は「なぜ行かなければいけないんだ」と釈然としない思いを抱えていたが、猪木さんに言われた。

「女に刺されたレスラーはいないじゃないか。面白いよ」

そして観衆の前でビンタを食らった。「今思えばあれは救いの手というか、救済措置というか…。猪木さんに張られることでみそぎになった。そういったところまで考えていたんじゃないかな」。猪木さんなりの愛だったと解釈している。

猪木さんが天国のリングに上がっても、その愛は衰えることはない。「亡くなる前から“神様”だったので、存在感は失われないし、プロレス界にとっての象徴。そこは変わらないので、ご存命の時よりもちょっとやわらかい目線でプロレスを見守ってほしいと思います」。

棚橋の「弘至」の名前は、猪木さんの本名「寛至」から付けられた。棚橋には、猪木さん亡きプロレス界を背負っていく1人だという思いがある。

最後に「猪木さんのような存在になりたいか」と問うと、「それは猪木さんしかなれない」と即答した。そして「新しい『棚橋モデル』として、猪木さんに1歩でも近づけたらと思います」と、自身に言い聞かせるように誓った。

形は変わっても、猪木さんの作った新日本はこれからも変わらない。猪木さん、成長していく、あなたの息子、孫たちを天国から見守っていてください-。【勝部晃多】

◆棚橋弘至(たなはし・ひろし)1976年(昭51)11月13日生まれ、岐阜県大垣市出身。立命大法学部から99年4月に新日本入団。06年7月にIWGPヘビー級王座初戴冠。以降、同王座最多戴冠8回、通算最多防衛28回、連続防衛11回は歴代2位。得意技はハイフライフロー、テキサスクローバーホールド、スリングブレイド、ドラゴンスープレックス。ニックネームは「100年に1人の逸材」「エース」。特技はエアギターで、決め言葉は「愛してま~す!!」。181センチ、101キロ。

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