村田諒太(37)が引退を表明した。今日から5回連載で、歴代担当記者が日本人で初めてボクシングの五輪とプロで頂点に立った拳を振り返る。

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村田諒太の「金の拳」が、日本ボクシング界に2つの変革をもたらした。1つは「日本人の身体能力ではミドル級(72・5キロ以下)で世界に通用しない」という、長きに及ぶ固定観念の壁を突き破ったことだ。

日本人にとってミドル級は「夢の階級」だった。欧米の男性の平均的な体格で、全階級を通じて最も選手層が厚いといわれる。ヘビー級並みの強打とフライ級のようなスピードを兼備した超人的な猛者たちが、名勝負を繰り広げてきた。

今も歴代最強といわれるシュガー・レイ・ロビンソン、10年間不敗のマービン・ハグラー、5階級制覇のシュガー・レイ・レナード、史上初の4団体統一王者バーナード・ホプキンス、17連続KO防衛のゲンナジー・ゴロフキン-。歴代王者の顔触れのすごいこと。

小柄な日本人は選手層も薄く、手の届かない階級だった。95年に竹原慎二さんが初めてWBA王座を奪取したが、当時は「大番狂わせ」という印象が強く、ミドル級に対する認識はさほど変わらなかった。それを覆したのが村田だった。

12年ロンドン五輪で金メダル。プロでも世界トップ選手を強打で圧倒して2度世界王座を獲得。KOで敗れたゴロフキンとの統一戦も一進一退の打撃戦で、日本人の強い肉体と高い運動能力を証明。あらためて評価が高まり、試合後は世界中から報酬額数億円の対戦オファーが殺到した。

村田は以前、自らの強打について「神様が僕にくれた才能」と語っていた。ただ、それだけでミドル級で頂きには立てない。神様は探求心や地道に努力する才能も彼に授けたのだと思う。帝拳ジムの本田明彦会長は「体格に加えて頭脳がずぬけている。集中力も違う」と明かす。

もう1つは村田の登場で試合中継が配信時代へ移行し、報酬の天井に風穴があいたことだ。スター選手が居並ぶミドル級で、ビッグマッチを実現させるには数億円単位の報酬を用意する必要があり、従来の地上波の放映権料では成立しない。本田会長は資金力のある有料配信サービスと交渉し、新たな道を切り開いた。

昨年4月のゴロフキン戦は、海外がDAZN、日本ではAmazonが配信することで実現。村田のファイトマネーは推定6億円超。2人合わせて20億円超の国内史上最大規模の興行になった。配信サービスの契約数も一気に増えた。以後、井上尚弥ら人気王者の試合はライブ配信が主流となり、報酬も跳ね上がった。

ミドル級で再び世界トップ戦線で戦える日本選手を育てることは簡単ではない。それでもきっと近い将来、村田の金の拳が突き破った壁の穴から、第2の村田が出てくるはずだ。もしかすると世界ヘビー級王者だって誕生するかもしれない。そう思えるほど、村田諒太は私たちに日本人の計り知れない可能性を示してくれた。【首藤正徳】

◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年で競技開始。南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大で04年全日本選手権ミドル級で優勝など。11年世界選手権銀メダル、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルを獲得。アマ戦績は119勝(89KO・RSC)19敗。13年8月にプロデビューし、17年10月、WBA世界ミドル級王座を獲得。日本人で初めて五輪金メダリストがプロ世界王者となった。プロ戦績は16勝(13KO)3敗。身長183センチの右ボクサーファイター。