12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリストで、元WBA世界同級スーパー王者の村田諒太(37=帝拳)が引退を表明した。29日から5回連載で、歴代担当記者が日本人で初めてボクシングの五輪とプロで頂点に立った拳を振り返る。

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昨年4月に“ミドル級最強”のゴロフキン戦に敗れた後、村田諒太(37)は泣いた。試合前、所属ジムの本田明彦会長から「楽しんでこいよ」と言われたことがうれしかったという。その真意を聞くと「プロにきて楽しかったことなくて。無理に楽しもうとしていたから」と吐露した。

19年7月、ロブ・ブラント(米国)との再戦で世界王座を奪還した頃から「試合のパフォーマンスを上げるため、感情を封印していた」。試合前後はトレードマークだった笑顔が消え「感情は必要なかった。スパーリングの日はふざけない。ボクシングの時は感情を殺してきた」とも。楽しく取り組んでいたはずの“原点”を本田会長の一言が思い出させてくれた。すべてをぶつけられたからこそ、ゴロフキン戦をラストファイトに選んだのだろう。

ゴロフキン戦に向け、村田はメンタル指導を受けていたスポーツ心理学者の田中ウルヴェ京氏に「何のために試合したいのかという底辺を忘れずに」とメッセージをもらった。村田は、こう返信した。「何のための試合か。お金を稼ぐというのが1番楽な考えで簡単で吹っ切れる。お金を稼ぐことかと思ったけれど、それは違う。最強に挑戦し自分を納得させるための試合と自分が言っている」。1年前の試合が納得できる現役生活のゴールになった。

時に村田は「自分は北京五輪に出られなかったヘタレ。ビビり」と自虐的に表現してきた。「北京五輪予選も本気になれず、目の前から逃げてばかりだった。向かっていく強さ、外ではなく、内面的な強さを得たい、確認したい。そこだと思った。自分への挑戦だと思って、リングに立てた」。「強さを求める」「弱さを認める」。村田の現役生活はそれが凝縮されていたのだと思う。【藤中栄二】(終わり)