負けず嫌いは群を抜いていた。尊富士が小学校5年生から中学卒業までの5年間にわたり指導した、つがる旭富士ジュニアクラブ・越後谷清彦総監督は「負けた相手のことは、次の大会までずっと覚えていました。次は絶対に勝ってやると。勝つために、目の色を変えて稽古する。負けん気の強さが人一倍強かったね」と振り返る。

生まれ持った能力は決して高くない。「股割りは90度ちょっといけば止まるし、股関節もびっくりするくらい硬い。腕立ても満足にできない。最初は大変だったね」。それでも負けず嫌いの性格が、才能を引き伸ばしていく。「みんなで100回腕立てをした後、黙々とさらに100回する」と努力の天才ぶりを証言した。

素直すぎる性格も快挙につながっている。クラブに入った当初の小学校時代に「腕立てができない」と泣いていたことがあった。「泣いて強くなった子はいない。泣いて強くなるのだったら、いつでも泣けばいい」と一喝すると、泣きやんで稽古した。その後、中学校時代に1度だけ泣いた。練習に1時間半ほど遅刻した時だった。理由を尋ねると「近くのショッピングセンターのゲームコーナーで友達と遊んでいた」と正直に白状。罰として相撲を取らせず、延々と腕立て伏せをやらせたが、涙を浮かべながら黙々と取り組んだ。「今やると、いじめになっちゃうかな」と言いながらも、その真摯(しんし)な姿勢を懐かしんだ。

「人に愛される大関になってほしいね。みんなからは『横綱ではないの?』と言われるけど、大関にならないと横綱にはなれない。周りから応援されるようになれば、横綱の方から近づいてくるんじゃないかな」。これからも想像以上のスピードで躍進する教え子を温かく見守っていく。【平山連】