滝沢秀明さんが昨年いっぱいで芸能活動から引退した。昨年12月28日に「滝沢秀明」としての最後のショーを取材し、話も聞いた。滝沢さんは「(引退による)寂しさはないし、悔いもありません。ファンには感謝しかないけれど、これからはアイドルとファンという関係から、仲間になるという感覚がある」と晴れ晴れとした表情で、今後に向けては「これまでも信じて前に進んできた。迷いがあってはいけなあ。これから信じて進んでいくだけ。そうすれば、必ず形になっていくと思う。不安はあまりないし、皆さんがびっくりすることをしていきたい」と前向きに話した。

演劇を担当していることから、滝沢さんの舞台は本格的な舞台初挑戦となる帝劇「DREAM BOY」から見ている。当時はまだ22歳の若さだったけれど、アイドルにしては落ち着いたステージぶりに感心した。その後、「滝沢革命」、演舞場の「滝沢演舞場」「滝沢歌舞伎」と欠かさずに見ているが、その中で印象に残っていることがある。

10年に森光子さんと帝劇公演「新春 人生革命」で共演したが、滝沢さんは昼は「新春 人生革命」で森さんと共演し、夜は「新春 滝沢革命」に主演という、昼夜で異なる2つの舞台に主演という過酷なスケジュールをこなした。そこから見えたのは、滝沢さんの「人間力」で、森さんという大女優への素直なリスペクトだった。結局、これが森さんの最後の舞台になったが、森さんと一緒に真摯(しんし)に舞台に向き合った経験は、滝沢さんにとって大きな財産となった。

芸能引退を発表してから大みそかまで、精力的に活動した。SMAP解散で苦い思いをした中居正広からのアドバイスもあって、ファンとの別れに時間を割いた。ディナーショーを各地で行い、マスコミの取材も「日本にこんなに雑誌があったのか驚いた」というほど受けた。コンビニには滝沢さんを表紙にした雑誌が並び、「滝沢祭り状況で、恥ずかしかった」と苦笑するほど。テレビも年末まで出演し、大みそかのジャニーズカウントダウンに「タッキー&翼」で登場した。

そんな滝沢さんは演出家、プロデューサーという裏方に転じるが、成功するだろうと思う。そのいい例が、最後のショーで実施した「撮影タイム」。肖像権に厳しいジャニーズでは画期的なことで、滝沢さんも「最後ぐらい、歴史的な1枚を撮ってもらおうと思った」と、ファン目線で押し切った。「時代に合わせて積極的にやっていきたい。2019年はどんどん形にしていかないと、やる意味がない。とにかくやりたいことがいっぱいある」。今月、滝沢さんが演出する「滝沢歌舞伎ZERO」の会見がある。しかし、会見には出演者だけで、滝沢さんは登壇しないという。もう裏方としての歩みが始まっている。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)