不定期でお届けするアナウンサー連載「素顔のアナウンサー」は先週に続いてTBS入社5年目山形純菜アナウンサー(27)です。4回連載の2回目となる今回、アナウンサー以外に夢見た職業や、アナウンサーになった経緯や思い、ご両親との関係などを赤裸々に語ってくれました。

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山形アナにアナウンサーを志した理由を問うと「小さい頃から潜在的には(なりたい気持ちが)あったのかもしれないですけど」と断りつつ、意外な答えが返ってきた。「とことん他の就活がうまくいかなかったんです(笑い)」。

「謙遜でしょう?」と問うと「本当に! 本当にそうなんです!」と身を乗り出して否定した。管理栄養士の資格をもっていたことから食品系企業のインターンなどに申し込んだがうまくいかなかったという。「唯一インターンに参加できたのがテレビ業界だったので、『じゃあそこに一本にしぼってがんばってみよう』って」と振り返った。

そのような経緯もあり、アナウンサーの就職活動を本格化したのは遅かった。「大学3年生の頃ですかね。今(の採用スケジュール)だったら私、遅かったなって思います」と回想した。全く違う職業についていた可能性もあったという。

大学在学中に「2016 ミス・インターナショナル日本代表選出大会」でグランプリを獲得したこともアナウンサーを志す要因になった。「ミス(インターナショナル)の活動をしていて、いろいろなアナウンサーの方にお話聞いていただいている間に、アナウンサーってテレビでは話すだけじゃなくて、インタビューとかもあるんだって知りました。すごく楽しそうって思ったのは(目指した理由の)一つありますね」。

さまざまな要素が複合的に絡み合ってアナウンサーという職業を選んだ。

生まれ育ったのは岩手・盛岡。教員の父親の影響からか、高校生までは養護教諭を夢みていた。「養護教諭になるためには、北海道か青森の大学に行かなきゃいけなかったんです。でも東京に憧れがあったので行きたいなって思って。大学受験はちょっと失敗しちゃったんですけど、浪人とかは考えずに上京しました」。

3人兄弟の末っ子。一見クールに思われがちだが、大きく口を開けて笑ったり、泣いたり、表情豊かなアナウンサーだ。どのように育ったのか。「3番目で自由には育ったと思います。(両親は)結構、放任主義というか。上京するっていうのも全然相談せずに決めましたし、アナウンサーになるっていうことも、ミスコンに挑戦するってことも事後報告でした」。

両親はそんな山形アナの意志を尊重してくれた。「『やめておいたら』とか言われてこなかったですね。(自分が)やりたいって決めたら気持ちを曲げないっていうのを知っているので(笑い)。すごくバックアップしてくれるわけではないですけど、そっと見守ってくれて。私が好きなように生きていいよっていってくれる両親だとは思います」と感謝した。山形アナがテレビに出るようになり、有名になっても、その関係性は変わらないという。

アナウンサー試験を突破するのは至難の業だ。ただ、入社が決まった時の心境を聞くと意外な答えが返ってきた。「うーん…でも別に、働くってこととは変わらないので、私の中ではそんなに意識は変わらなかったと思いますね」。嫌み無く振り返るその口ぶりにアナウンサーという職業を特別視しない、一社会人、会社員としての強い自覚を感じさせた。

◆山形純菜(やまがた・じゅんな)1994年(平6)6月20日、岩手県盛岡市出身。実践女子大生活科学部卒。「2016 ミス・インターナショナル日本代表選出大会」でグランプリ。17年TBS入社。現在「東京VICTORY」「まるっと!サタデー」「はやドキ!」、ラジオ「中野浩一のフリートーク」など担当。趣味は映画観賞、読書、音楽鑑賞。特技バレーボール。管理栄養士の資格をもつ。164センチ。