今年3月に亡くなった人間国宝だった桂米朝さん(享年89)が、06年9月に開場した大阪市北区の天満天神繁昌亭に寄贈した「楽」の字を描いた額が、一時、不明になっていたことが15日、分かった。

 劇場内の舞台上方には額のレプリカを掲示しており、上方落語協会の桂春之輔副会長(67)によると、本物の額が行方不明になっていた時期があったという。ただし「今はもう、発見できたんで、今はちゃんとあります」と言い、ひと安心。「ものすごい宝やと思います」と話した。

 その額の紛失騒動を振り返り、春之輔は「いっぺん、(額の)行方が分からんなったとき、誰かが鑑定とか出したんちゃうか、言うてた」。これにすかさず、米朝さんの長男、桂米団治(56)が「本物は兄さん(春之輔)が(鑑定に)出したというウワサもありましたけど」とつっこんだ。

 額の行方が分からなかった当時、誰かが鑑定に出品したのではないか、との疑惑が持ち上がっていたが、現在は、しかるべき場所にきっちりと、保管されているようだ。

 この額はもともと、桂文枝会長(72)が開館にあたり、米朝さんに「何か形に残る物を」と依頼。戦後、没落寸前だった上方落語を復興させた功労者として、米朝さんに文字を書いてもらうことになった。ところが長男で落語家、桂米団治(56)らが、頼んでも、米朝さんは、なかなか了承せず。それを口説いたのが、ひょうひょうとした人柄で上方でも有数の“人間力”を誇る春之輔だった。

 米団治は「兄さん(春之輔)の軽いノリで『ちょう、書いてくださいな』言うていくしかない、と思ったんです」と言い、作戦が成功したという。

 春之輔によると、その文字を書くとき、表面に「米朝」の署名を頼んだところ、米朝さんは「劇場の上に掲げるなら、落語を聴きに来たお客さんの目に入って、何や? と気になるやろうから、裏に(署名を)書いとく」と言い、表面には署名表記をしなかった秘話を明かしていた。