気になる静岡県テレビ局アナウンサーを紹介する連載「静岡アナ 気になリスト」。Daiichi-TV永見佳織アナ(33)の登場です。明るいキャラで、お茶の間でおなじみの顔ですが、実は「静岡アナ」5年目。謎に包まれていた経歴に迫ってみました。「その1」は就活&移籍編。

 -中途入社ですね

 はい。最初は高知放送にいました。その前に2年間、OLをしていました。

 -アナウンサーでは珍しい経歴ですね

 珍しいと思います。新卒の時は、静岡も含めてサッカーのチームがある県を受けていましたが、縁がありませんでした。卒業後、フリーターをして、その後に浜松の会社で事務をしていました。大学までは愛知で、どうしても家を出たかったんです。

 -24歳での再挑戦

 最後のチャンスと思い、たまたま年齢制限のない高知放送で募集があったので、1局だけを受けました。1、2月にまだ就職が決まっていない2歳下の方々と一緒に。すぐに4月から就職ということで。

 -よく、1度のチャンスを生かしましたね

 肩の力が抜けていたのが良かったんでしょうね。落ちて当たり前と。物おじせず、ベラベラしゃべっていたのが良かったのでしょうか。受かっているとは思っていなくて、有名なゆずポンやゆずジュースを大量に買ったのを覚えています。

 -そもそもなぜ、アナウンサー志望に

 小5の時、リレハンメル五輪に出場していた荻原健司選手を応援していまして、その隣にいたNHKの内山俊哉アナウンサーに憧れたことがきっかけです。内山さんになりたいと思ったくらい。当時の文集「12年後の自分」には、「ニュースキャスターになっている」と書いているんです。そこにはなっていないですけどね(笑い)。

 -高知放送では、冠番組も持っていたんですよね

 たまたま。ありがたいことに。ラジオもやっていました。

 -なぜ、静岡に

 高知放送とは5年で契約満了だったんです。で、どうしようかとなったタイミングで、こちらに中途採用の募集がありました。当時、同じ日本テレビ系列でしたが、高知放送の上司に申し出たら、快く「いいよ」と言ってもらえました。

 -サッカー好き。気合入れて試験に

 そうですね。実は03、04、05年と3年間、ジュビロ磐田のマスコットガールをやっていました。02年の完全優勝も生で見たんですよ~。その頃から「静岡でアナウンサーができたらな」とは思っていました。でも、試験前は危機感の方が大きかったですね。「落ちたら4月からどうしよう」と思いまして。始まると、「桜の中継に来たと思って、リポートしてください」とか、高知放送で少年サッカーの実況をやっていたので、「架空実況してください」とか言われました。やりましたけど(笑い)。

 伊藤久朗アナウンス室長によると、試験では面接官が満場一致で永見アナの中途採用を決めたそうです。「文句なしの結果でしたね。とにかくしゃべれる人が欲しかったんです。顔はともかく(笑い)」。

 永見アナ えーっ。カメラテストで「右見て」「左見て」とか、いろんな角度から撮られましたよ。ウソでしょ。ビックリした~。

 伊藤アナ ごめん。ごめん。冗談です。

 こんな楽しい感じで「その1」は終了。「その2」では、「静岡アナ」になって、救われた言葉を紹介します。【柳田通斉、鈴木正章】(つづく)

 ◆永見佳織(ながみ・かおり)1983年(昭58)1月1日、愛知県生まれ。椙山女学園大人間関係学部卒後、07年4月から高知放送のアナウンサーに。契約終了後、12年4月からDaiichi-TVへ。担当番組は「〇ごと」「あいチャン!!」「ごちそうカントリー」。血液型O。