フジテレビ系「小川宏ショー」の司会を17年間にわたって務め、お茶の間に朝の顔として親しまれたアナウンサーの小川宏(おがわ・ひろし)さんが、11月29日に多臓器不全のため都内の病院で亡くなっていたことが5日、分かった。90歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻富佐子(ふさこ)さん。

 小川さんの次女で、作曲家故中山大三郎さんの妻の三佐子さん(55)によると、最後は穏やかに亡くなったという。

 10月半ばに肺炎と診断されて入院し、容体が急変したのは先月28日だった。翌朝には1度回復の兆しがみられたが「いよいよ良くない状況ということで、母と兄、姉、私の3人の子どもで集まりました」。そこでは会話も交わされ、小川さんは笑顔を見せたという。しかし、その後「あれよあれよいう間に呼吸が弱くなって、『あれ、お父さん』という感じでした」。

 小川さんは早大卒業後の49年にNHKに入局し、人気番組「ジェスチャー」などを担当した。フジテレビに引き抜かれ、65年にフリーアナに転向。同年5月、フジテレビ系朝のワイドショー「小川宏ショー」の司会者になり、82年3月31日の番組終了までに17年間で放送は4451回に達した。「森田一義アワー 笑っていいとも!」に抜かれるまでギネス記録に認定。その後も「オールスター家族対抗歌合戦」の司会などで活躍した。

 91年秋に、重度のうつ病を発症。93年2月、テレビ朝日系「徹子の部屋」で「自殺寸前だった」と衝撃発言して世間を驚かせた。3カ月間の入院生活も明かし、「私鉄線路の脇に立ってどの電車に飛び込もうかと考えていた」とも告白した。著書『私の「うつ病」体験記』(PHP出版)によれば、原因は身内の金銭トラブル。「身内が節税対策でプロダクションを設立。実印を渡して一任していたが私的に使用していた。土地を担保に株や不動産投資で億近い借金を残して自殺した」とつづっている。さらに「公開番組でのストレス」も原因だったと告白している。しかし、妻らの手厚い看護で回復。その時の体験を基に、各地で講演活動を行っていた。

 ◆小川宏(おがわ・ひろし)1926年(大15)4月17日、東京都生まれ。早大卒業後、49年にNHKに入局。クイズ番組「ジェスチャー」の司会を10年間担当し65年退局。フジテレビと専属契約を結び、同年開始の朝のワイドショー「小川宏ショー」の総合司会として17年間活躍。音楽番組「FNS歌謡祭」などの司会を務めた。ラジオやテレビに時折出演しながら、うつ病を克服後は講演活動も行った。

 ◆小川宏ショー 65年5月3日~82年3月31日まで、フジテレビ系の朝のワイドショーとして放送。「初恋談義」「私のふるさと」などトークコーナーや、露木茂アナウンサーが事件などを取材する「露木リポート」が人気に。放送回数は4451回。当時「人名を冠した番組の最長寿記録」として、ギネス記録に認定された。小川氏の元で司会を務めたのは露木アナのほか、芳村真理、藤田弓子、浜美枝らがいる。