【ホノルル24日(日本時間25日)=松本久】米ハワイへの日系移民150周年を記念した「美空ひばり音楽祭」が同地で行われた。ハワイで、日本人歌手の名前を“冠”にした大規模な音楽祭は初めて。日本から細川たかし(68)市川由紀乃(42)クリスタル・ケイ(32)の3人が駆けつけ、ひばりさんの名曲を歌い継いだ。ひばりさんの秘蔵映像などによるフィルムコンサートも同時に開催された。

明治新政府が発足した1868年(明元)に、153人の日本人が海を渡ってから150年。節目の年に、昭和を代表する歌姫・美空ひばりさんの名曲が常夏の島、ハワイに響き渡った。

1部が秘蔵映像などによるフィルムコンサートで、2部が細川らによる歌唱コーナー。「ハワイを愛したひばりさんの気持ちを現地の人に伝えたい」。公演前にこう語っていた細川は、190万枚を突破した最大のヒット曲「柔」などで自慢のこぶしを何度も回した。市川は17年の紅白歌合戦で熱唱した「人生一路」、ケイも「歌は我が命」などのヒット曲を披露。最後は生前のひばりさんの声と3人による「愛燦燦」の大合唱もあり、約1800人のスタンディングオベーションで幕を閉じた。

1950年(昭25)、ハワイで戦後初めて公演を行った日本人が12歳のひばりさんだった。日米開戦の歴史に翻弄(ほんろう)された日系移民の米部隊「第100歩兵大隊」の記念館を造るためのチャリティー公演。当時、ひばりさんの明るい歌声と戦後の荒廃から立ち上がる祖国の姿を日系人たちは重ね合わせたという。感謝の思いから、ひばりさんを「第100歩兵大隊クラブ」の名誉会員に任命。ひばりさんもハワイを愛し、76年までに計5回もコンサートを行い、「芸能界を引退したら住みたい」と別荘まで購入した。

この日、会場にはすすり泣く人の姿があり、感動の拍手が何度も響き渡った。ひばりさんの長男加藤和也氏(47)は「『音楽は思想も国境も超えるから大切にしたい。音楽って本当にすてき』と母が言っていたことを思い出す」と“歌の持つ力”をあらためて実感していた。

平成の幕開けである89年に52歳の若さで亡くなってから29年。平成は来年に終わりを告げるが、「昭和の歌姫」の功績と歌声は時代が変わってもハワイにしっかりと根付き続けている。

◆美空(みそら)ひばり 本名・加藤和枝。1937年(昭12)5月29日、横浜市生まれ。45年に父が結成した「ミソラ楽団」で本格的に歌うようになり、47年に伴淳三郎が座長格の日劇小劇場「新風ショー」に初めて「美空ひばり」として出演。49年に「河童ブギウギ」でレコードデビュー。「悲しき口笛」「真赤な太陽」「柔」「川の流れのように」などヒット曲多数。89年に52歳で死去するまで、160本の映画に出演し約1200曲を残した。