東京オリンピック(五輪)が23日、開幕した。公式記録映画の監督を務める、河瀬直美監督(52)は18年秋の就任後、新型コロナウイルスの感染拡大による大会の1年延期など、激動の日々を見つめ、フィルムに刻み込んできた。大会開催までの道のりだけで、400時間超も撮影し、開幕後は各競技を追いかける河瀬監督に「五輪記録映画を作ること」について尋ねた。第1回は、1年延期、コンセプトの大幅変更など、未曽有のコロナ禍の中で思ったこと。【取材・構成=村上幸将】

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河瀬監督は、中学時代にバスケットボールを始め、奈良市立一条高時代は主将として国体に出場した経験を持つ。世界3大映画祭の1つ、カンヌ映画祭(フランス)に作品を出品するなど映画監督として世界で活躍する多忙な中でも、バスケットボールは40歳過ぎまでクラブチームでプレーを続けた。今は「膝とか痛くなったので、ちょっとだけやるくらいの感じ」と言うが、常にバスケットボールとスポーツは傍らにあった。国際オリンピック委員会(IOC)に企画書を提出し、最終的に18年秋に決定したのは、ある意味、運命とも必然とも感じている。

その河瀬監督にとっても、新型コロナウイルスの感染拡大で、20年3月に東京五輪の開催が1年、延期されたショックは大きかった。翌4月には1度目の緊急事態宣言が発出され、全国に拡大した。その中で、何を思ったのか?

河瀬監督 最初の4、5月は、日本人が誰も経験したことのない状態で、みんなステイホームということになったので、部屋と歩いて行ける距離にある事務所の行き来だけ。一体、どうすりゃいいか分からない…ふぬけのようになってしまいました。緊急事態宣言下になった時に、私たちも動かれないな、ということで、いったん、オンライン上でスタッフたちと1週間に複数のミーティングを持ちながら、やっていこうかということで。

具体的には、何を、どのように進めていったのか?

河瀬監督 その時には、むしろ日本国内だけでなく、世界中の今の状況を見ていこうかと、これまでお付き合いのある世界の映画人の力を借りて、今の状況を教えて欲しいと。奈良の宗教家の人たちが、宗教、宗派を超えて、固まって困難を収束させようという動きがあれば、世界宗教者会議にアクセスして、世界中の宗教家が何を考えているか、みたいなこととかも捉えていったりして。ニュースという意味では、オンラインだからこそ、世界中のものが、どんどん入ってきたので、そういう動きで進めていきました。

1度目の緊急事態宣言が解除され、ステイホームから解放されても、取材は困難を極めた。

河瀬監督 撮影で決めていた元々のテーマ、コンセプトがあったんですけど、実際、取材したい相手に取材が出来ないような状況になったり、もう明らかに、コロナで大きく変更になりました。今回はドキュメンタリーなので、なおさら選手に感染してはいけないというところで一切、そこ(選手の近く)にアクセスできない競技団体もあるんですね。すごくその辺がシビアで…。

取材自体、難しい中でも、可能な限り他方面にわたって敢行した取材の中には、1つの観点がある。

河瀬監督 世界中のママアスリートにアクセスして、お母さんになってもトップアスリートであり続ける人たち、難民選手団でケニアで活動している人も取材しています。柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平選手ですとか、大会前から金メダル候補とみられていた選手には、非常にプライベートな部分を含めて取材をさせてもらうなど、取材は多岐にわたります。陸上だったり競泳だったり、日本に限らず、世界のいろいろな地域、国でトップアスリートとして継続されている人たちを捉えているというのは、今回のユニークな観点になっていると思います。

次回は河瀬監督が、取材の中で知った、前回1964年(昭39)の東京大会の事実を語る。