作家で国会議員や東京都知事を務めた石原慎太郎さんが死去した。89歳だった。弟が国民的な俳優で歌手の石原裕次郎さんだったこともあり、芸能界でも多方面で活躍した。

「裕次郎より俺の方が歌はうまい」と常々話していた石原さんには、歌手、作詞・作曲家の顔もあった。裕次郎さんが主演した映画「狂った果実」の同名曲(56年)で作詞家デビューした。同曲は以後、舘ひろし、ちあきなおみ、加藤登紀子らがカバーした。

裕次郎さんの「追憶」「青年の国をつくろう」「日本の朝」も作詞した。72年に裕次郎さんが歌った「泣きながら微笑んで」では、作詞だけでなく作曲も手掛けた。道ならぬ恋をしっとりと歌った作品だった。カップリング曲「夏の終わり」も石原さんが作詞、作曲した。タンゴ調のメロディーで、歌詞は神奈川・湘南の海が大好きだった石原兄弟の青春を思わせた。

石原さんは58歳だった91年4月に、「夏の終わり」をペギー葉山さんとのムード歌謡調のデュエット曲として発表。衆議院議員の歌手デビューとして話題となった。慎太郎さんはペギー葉山さんの代表曲「学生時代」を作詞・作曲した平岡精二さんの作品を敬愛していたことから、ペギーさんとも親しくなった。

レコーディングに臨んだ慎太郎さんは「私が2代目裕次郎でございます。以前は裕次郎が歌っていたけど、これはオレのデビュー作。オレの歌だよ」と冗談交じりに喜んだ。さらに「新人賞? それも悪くないね」と話した。デュエット曲のカップリング「あいつ」(作詞作曲・平岡精二)で、ソロ歌手デビューも果たした。

慎太郎さんはNHK「みんなのうた」で63年末から64年に放送された「さあ太陽を呼んでこい」も作詞した。人生を豪快に歌う内容で、山本直純さんが作曲した。近年では16年に五木ひろしの新曲「思い出の川」を作詞した。当時、83歳だった慎太郎さんは「作家冥利(みょうり)につきる」と喜んでいた。

慎太郎さんはアイドル王国のジャニーズ事務所とも親しかった。同事務所をジャニー喜多川さんと創設したメリー喜多川さんの夫が作家の藤島泰輔さんだったことから、親交を深めたと言われている。慎太郎さんが「太陽の季節」で芥川賞を受賞した56年に、藤島さんは「孤獨(こどく)の人」で作家デビューしていた。その関係で、慎太郎さんは初代ジャニーズが出演した日生劇場のミュージカル「焔(ほのう)のカーブ」(65年)の作・演出を担当。同名タイトルの曲も作詞した。

慎太郎さんの小説「弟」がテレビ朝日開局45周年記念ドラマとして放送された際は、慎太郎さんの青年期を長瀬智也が演じた。またTBS系で放送されたドラマ「太陽の季節」(02年)では、主役を滝沢秀明が務めた。まさに多彩な生きざまだった。