フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。

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「今、レギュラーで番組をやっているのは、プロデューサーの『はやく起きた朝は…』だけなんです。演出しているのは、90年からクリスマスの時期に放送されている『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』をずっとやっています。『27時間テレビ』があった時はビートたけしさんの火薬田ドンだとかね。あと『ビートたけしのオワラボ』ってね、年末にたけしさんの番組やったんだけどコロナもあって、なくなっちゃいましたね」

「27時間テレビ」といえば、明石さんまの愛車のレンジローバーやメルセデスベンツGクラスといった高級車が、ビートたけしにメチャクチャにされるのがお約束だった。

「もちろん、修理費は出しますがね。最初はね、もう買い替えるから、どうしてもいいという時もありましたね。ついつい笑ってしまう感じでしたね」

バラエティーのディレクターにこだわり続けてきた。

「ディレクターにこだわり続けたっていうか、あの嫌じゃなかったんですよね。就職の時に、なんとなくこの世界に入ってけど、父親が日本舞踊家で芸能界の家だった。兄貴が石坂浩二さんと劇団やったり、家に舞台があったり。まあ、花柳界で育っていたんで、なじんだんでしょうね」

なんとなくテレビ界に入り、流れでディレクターになった。その三宅さんが、大きくうなずく言葉がある。

「大将、欽ちゃん(萩本欽一)の言葉で、よくいろいろなところに載っていたりもするんだけどね。大将が駒沢大学に通っていた時に、お笑い研究会っていうのに呼ばれて、講演した時になさった話なんです。就職の時に『好きな仕事より、そうでもない仕事に就いた方が長続きする場合がある』ということをおっしゃったんですよね。職人さんとかの家に生まれて、親の仕事を継がなきゃなんない時に、もう絶対嫌だとね。でも、いざやってみると、そんなでもないとかね。好きじゃないので知らないから、一生懸命やろうとする。他の人に対しても謙虚になれるから、いろいろなことを教わったり、聞いたりできると。逆に好きな仕事だと頭でっかちになって、実際に行った時にだめだったりする。振り返ってみると俺も、そうだったな。そんなにテレビを見て憧れたわけではない。学生時代はバスケットボールが一番でしたからね(笑い)」

テレビの話は尽きない。いろいろなレジェンドとともに作り上げてきた歴史がある。

「確かに、こういう話をね、伝えてかなきゃいけねぇなとかね。もう俺の上の人なんて、フジテレビにいないからね。宮内さん(宮内正喜会長)と石田さん(石田弘エグゼクティブプロデューサー)しかいないから(笑い)」

(続く)

◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼクティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。