東京映画記者会(日刊スポーツなど在京スポーツ紙7紙の映画担当記者で構成)主催の第65回(22年度)ブルーリボン賞が23日までに決定し、早川千絵監督(46)が「PLAN 75」で監督賞を受賞した。

昨年、世界3大映画祭の1つ、カンヌ映画祭(フランス)で新人監督賞「カメラ・ドール」のスペシャルメンションを授与されたのをはじめ、国内外の映画賞、映画祭で高く評価されたが、ブルーリボン賞受賞の喜びは、ひとしおだ。

「子どもの頃から、よく聞いたことがあり、第一線で活躍される俳優さんの賞だと思っていた。監督の賞があることは知らなくて、ビックリしたのと、監督として認めていただいた気がして、とてもうれしかったです」

「PLAN 75」は、少子高齢化が急速に進む中、政府が解決策として75歳以上の高齢者に自らの“最後”を選ぶ権利を認め、支援する社会制度<プラン 75>を施行した社会を描いた物語。是枝裕和監督(60)が初めて総合監修を務めた18年のオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」の中の、7分程度の1編を新たに構築してオリジナル脚本を手がけた、早川監督にとって初の長編映画だった。

主演には、日本映画史を駆け抜けた81歳の倍賞千恵子を起用した。対面し、自分がどういう映画を作りたいかを説明。内容が非常にセンシティブなだけに「作品に賛同、魅力を感じていただけるなら出てください」と依頼した。脚本を書く上で「どういう死に方が良いのか、人間はいいのだろうか」と考えていた時、主人公の角谷ミチを演じた倍賞も、ちょうど「死ぬことって、どういうことなんだろうって考えていたのよ」と言い、見解やスタンスが一致したという。

演出自体が、ほぼ初めてだった新人の早川監督が緊張しないよう、倍賞は現場の雰囲気づくりをしてくれたという。同監督は「実際、現場に入ると本気と本気の勝負というか、良い映画を作るための同志という気持ちで、遠慮すると失礼なので遠慮はなく、素晴らしいお芝居でほれぼれして、現場に行くのが楽しみだった」と、倍賞との撮影の日々を振り返った。

長編初監督作での監督賞受賞だが、ここまでの道のりは遠回りだった。子どもの頃に、地域の子供会の映画上映で81年の映画「泥の河」(小栗康平監督)を見て「心が通じる誰かがいると、映画を見ると感じられた体験があった。誰かにとって、自分もそういう映画が撮れれば」と映画の道を志し、米ニューヨークの大学「スクール・オブ・ビジュアル・アーツ」に入学した。

ただ英語が通じず、入学直後に映画学科から写真学科に転科。「1週間で写真学科に変えたり、1人で映画を撮っていただけ。やりたいのに、なかなか1歩を踏み出せないところにモヤモヤしていた。時間がかかったのは、ひとえに自分の臆病さと怠惰のせいだと思っていて…思い返すと本当に情けない」と振り返った。

現地で妊娠、出産を経験し、帰国後に仕事を始めたが「仕事があるからできない、子どもがいるからできないと全部、自分の中で言い訳にしているなぁと分かっていつつ、実際の行動に起こせていなかった」という。「自分の弱さ。実際にやってみて才能がない、実はそんなに映画作りは好きじゃないかも…と分かるのが怖かった」と当時の心情を振り返った

「これじゃ、いけない」と奮い立ったのは36歳の時だった。興行収入31億円超を記録した18年の「カメラを止めるな!」(上田慎一郎監督)や、4日に全国1館で公開後、20日で全国42館と公開を拡大中とヒットの「茶飲友達」(外山文治監督)を製作した、ENBUゼミナールの夜のコースに1年間、通って映画を学び直すと「楽になって、楽しくなった」という。その卒業作品「ナイアガラ」が、14年にカンヌ映画祭の学生映画部門シネフォンダシオンで入選し、世界にその名を知られた。

一方で、当時はWOWOWの映画部で、映画の素材をチェックしたり、米のメジャースタジオに素材を発注する仕事をしていた。「子どもがいて、これからもお金がかかる。でも、片手間で映画のことをやっている。腹をくくらなきゃ…」と思った18年に「十年 Ten Years Japan」のオファーがあり、同社をやめて専業監督になった。

「十年-」の公開から4年、製作出資してくれる会社を探す間に、長編の脚本開発を徹底できたのも大きかった。短編は「こんな世の中になってしまうと問題提起をして、何の希望もなく不安をあおるような内容」だった。長編も、短編を踏襲し「もっと恐ろしい描写も多く、希望を提示せず、もっと嫌な終わり方」だったが、その間、全世界がコロナ禍に陥った。「現実がフィクションを超えてしまった気がして、不安をあおる映画を作りたくないと思い、こうあって欲しいという自分の願いを込める」形に変えた。長女は19歳、長男は17歳と成長し、作品を見て「日本映画にしてはおもしろかった」と感想を口にしたという。

回り道の末、長編初監督作で監督賞を受賞。倍賞もブルーリボン賞最高齢で主演女優賞を獲得し、2冠に輝いた。自信が付いたか聞かれると「逆に、調子に乗るなよ、という気持ちの方が大きい」と笑った。そして「20代で、こういう作品を作ろうとは、きっと思ってなかった。(監督を)早く始めたら、挫折はもっと早かったかなと思っていて。年を取るにつれて余計な自意識がそがれ、寛容さみたいなものも養われたのかな」と、あくまで冷静に自己分析した。

次回作への期待も大きい。「1作目が社会的なテーマだった反動で、パーソナルな家族の物語を作ってみたい。脚本を書き始めたばかりですけど『泥の河』に心引かれた自分の年ごろの、子どもから見た世界を描きたい」と構想を語った。【村上幸将】