今年で95回を迎えた米アカデミー賞は、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が作品賞、監督賞など7冠を制した。アジア系移民を題材に多元宇宙を絡めたストーリーはやや強引な気がするが、絶妙なぶっ飛び加減が王道作品を見飽きたハリウッド映画人の心をくすぐったのではないかと思う。

ジャッキー・チェンの映画でおなじみだったミッシェル・ヨー(60)がこの作品でアジア系として初の主演女優賞となり、19年に韓国映画「パラサイト」が作品賞を取って以来のアジアの波は続いているようだ。

個人的には7冠の中でもっとも印象に残ったのが助演男優賞のキー・ホイ・クァン(51)だった。

「僕の人生の旅は、ボートから始まりました。難民キャンプで1年間過ごしました。それが、どういうわけか今、ハリウッドで最も晴れやかなステージに立っているのです。このような人生は映画の中でしか起こらないと聞きました。まさか、自分の人生に起こるとは思ってもいませんでした。これこそが、アメリカンドリームです」

スピーチではまるで少年のような笑顔を見せた。39年前、当時12歳の来日会見の笑顔が重なるような気がした。スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で6000人の公募者から選ばれた「クァン君」は、日本公開を前に作品を代表して都内で会見を開いた。

用意されたコーヒーには「僕は紅茶しか飲みません」。大抜てきしてくれた監督の印象を聞かれると「実はアメリカ映画はあまり好きではなかったのでスピルバーグは知りませんでした。でも、撮影中はとっても優しいオジサンでした」。当時の記事を読み返しながら、笑いの絶えない会見だったことを思い出した。

サイゴン(現ホーチミン市)で華僑の子として生まれたクァンは両親とともにボート・ピープルとして米国に渡り、居住地となったロサンゼルスでこの作品のオーディションに参加した。

スピルバーグ監督は抜てきの理由の中で「とにかく頭がいいんだ。演技指導に対する反応も異常と言っていいほど早い。私が出会った子どもの中で最高の演技者だよ」と絶賛している。

比較的のっぺりとした顔のアジア系俳優が欧米系に交じると、感情表現の振幅がどうしても小さく見えがちだが、「インディ-」のクァンは表情豊かで喜怒哀楽のメリハリが効いていた。翌年、スピルバーグ監督は総指揮した「グーニーズ」のメインキャストにも起用。クァンの進撃は続いた。

が、当時は「アジア系の役」がそれほど多かったわけではなく、子役によくある伸び悩みの時期も重なって表舞台から姿を消した。

「エブエブ」はそんな彼が再び脚光を浴びた復帰作でもあった。授賞式ではこんな心境も明かした。

「デビューをしたときは本名のキー・ホイ・クァンで仕事をしていました。仕事が減って来た頃にマネジャーから『もう少しアメリカ人的な名前にすれば、仕事が回ってくるかもしれない』と言われ、不本意ながらわらにもすがる思いでジョナサン・クァンと名乗っていた時期もありました。だからプレゼンターが封筒を開封して『キー・ホイ・クァン』と呼んでくれた時が私にとっては特別な瞬間だったのです」

スピルバーグ監督と、「インディ-」で共演したケイト・キャプショ-(69)に挟まれて記念撮影に応じた授賞式後の表情も記憶に残った。笑顔は12歳の時のままでも、涙には39年分の重みがあったに違いない。【相原斎】