先日、50年の歴史に幕を閉じる中野サンプラザを取材した。地区の再開発で7月2日で閉館する。1973年(昭48)6月1日に、東京・中野駅北口に公共施設「全国勤労青少年会館」として開館。公募で「SUN(太陽)」と「PLAZA(広場)」を組み合わせた「中野サンプラザ」が愛称となった。04年に民営化され、愛称が正式名称になった。

サンドイッチと形容される白亜のビルは、中野のランドマークとなった。民営化後は、複合文化施設として、地元住民だけでなく、多くの人に親しまれた。特にホールは、『音楽の殿堂』として、ジャンルを超えて多くのミュージシャンから愛された。

5月3日から同ホールで始まった「さよなら中野サンプラザ音楽祭」には、声優、アイドル、ポップス、ロック、フォーク、流行歌、演歌など多くのアーティストが日替わりで出演する。みな中野サンプラザホールへの思い入れは強く、同音楽祭の公式ホームページ上で、それぞれの思いを吐露している。

5月18日に出演する稲垣潤一は「デビュー間もない時期、トークは二言三言だけで、手持ち無沙汰感半端なくただひたすら歌いっぱなしでした。今でも中野サンプラザのステージに立てばあの頃が甦ります。1オーディエンスとして、音のいい会場なんだな、といつも感心していました。こんな良き環境でライブを楽しめるサンプラザが閉鎖されてしまうのは甚だ残念です」とコメントしている。

6月11日が出番のモーニング娘。’23の譜久村聖は「ハロー!プロジェクトは春夏秋冬、朝昼晩、年明け年越し、いくつもの日を中野サンプラザで過ごしてきました。そして『ハロプロの聖地』とも多くの方に言っていただきました。駅に着いてすぐ目に入るシンボル的な建物。会館前でファンの方がライブを楽しみに準備をしている姿が見えるのも頑張りの源だったりしています」。

6月16日に出演するflumpoolは「音がとにかくいいと言われていた中野サンプラザで初めてやらせてもらった時、当日のリハーサルで『声』が繊細に明確にどこまでも響く素敵な会場だなと思いました。ファンのみなさんとお互いの『声』が響き渡る、そんなライブになればいいなと思っています!」

6月23日に出演する奥田民生は「ラウドネスを1番後ろの席でみて、音でかすぎて後ろの壁にはりつきました。大きさがとにかくちょうど良かった。次はどうなる?」とコメント。

閉館前日の7月1日に出演するゴスペラーズの安岡優は「中野サンプラザには『青春の音』が染み付いている。数え切れないほどのステージに、数え切れないほどの拍手と歓声が。客席で浴びた先輩ミュージシャンの演奏も、二十代の頃の僕らの歌声も。建物は消えても、その音は消えることはないだろう。だってそれは、僕らの心の中に、君の胸の奥底に染み付いているのだから」と熱いメッセージを送っている。

そして閉館日の7月2日は、同ホールを愛し何度もコンサートを行った山下達郎が大トリを務める。

中野サンプラザは取り壊されるが、ホールは28年度内に同地区内に最大7000人規模の「NAKANOサンプラザ」として生まれ変わる予定である。昭和から日本の音楽文化を支えた中野サンプラザホールのカウントダウンを、ぜひ見て聴いて感じてほしい。【笹森文彦】