「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね」の「地下鉄漫才」で1970年代後半に一世を風靡(ふうび)した夫婦漫才コンビ、春日三球・照代の春日三球さん(本名近馬一正)が先月17日に緊急搬送された都内の病院で、胃潰瘍の傷からの出血多量により亡くなっていたことが18日、分かった。89歳だった。葬儀などは親族ですでに執り行ったという。

三球さんは6年前に脳梗塞を患い、その後は療養にあたっていた。脳梗塞の後遺症治療のために、血液をサラサラにする薬を飲んでいたことから、昨年8月に胃潰瘍の傷からの出血が止まらなくなり吐血、下血して入院。退院後は都内の自宅で、介護を受けながら週に3回入浴するなど平穏な生活を送っていたという。

1995年(平7)に三球さんと再婚した和子夫人は「前立腺肥大や胃潰瘍などの病気はありましたが、穏やかに日々を送っていました。自分のお酒の量もわきまえている人で、介護の方が入浴させてくれた後はビールの中缶を1本だけ、おいしそうに飲んでいました。先月17日に胃潰瘍の傷からの出血で吐血して自宅で倒れ、救急車を呼んで入院しましたが亡くなってしまいました。急なことでビックリしましたが、最後は幸せな日々だったと思います」と話している。

東京生まれの三球さんは、リーガル千太・万吉門下で57年(昭32)に漫才コンビ、クリトモ一休・三休でデビュー。62年にNHK漫才コンクールで優勝したが、同年5月に相方の一休さんが国鉄(現JR)の三河島事故に巻き込まれて亡くなった。

その後、違う相方とコンビを組んだりしたが、65年に妻だった照代さんと三球・照代を組んで再出発。70年代中盤に地下鉄漫才で大ブレークした。ところが87年に照代さんが、くも膜下出血で51歳の若さで急死。その後は、同年に声優出身の若手女性芸人・芳賀みちるとコンビを組んだりしたが、翌年解散してからは、ピン芸人として活動。95年に和子夫人と再婚した。最近は芸能活動から遠ざかっていた。