歌手アグネス・チャンが68歳の誕生日の20日、東京・ジュンク堂書店池袋本店で来月1日発売の著書「心に響いた人生50の言葉」(かもがわ出版)の出版記念イベントを開いた。

香港で生まれ育ち、来日して1972年(昭47)に「ひなげしの花」で歌手デビュー。以来、歌手として妻として、母として、時には学生、そしてユニセフ・アジア親善大使として活躍してきたアグネスの人生を支えてきた珠玉の言葉がつづられている。「暇を見つけて喫茶店を3、4軒はしごしたり、1年がかりで書き上げました」と、68歳とは思えない笑顔で美魔女振りを見せつけた。

アグネスは一番大事な言葉に、自身が21歳の時に亡くなった父親から送られた「迷ったら一番難しい道を選びましょう」を挙げた。アグネスは89年(平元)に米国スタンフォード大教育学部博士課程に留学した時のことを振り返って「3歳の長男がいて、おなかには次男がいました。でも、お父さんの言葉を思い出して頑張って、博士号を取得した時の喜びったらなかった。自信をもらえました。時間をかけて頑張れば、目標の近くまでは必ず達することができる」と話した。

留学する時にスタンフォード大のホームページで「人がやってないことはあなたがやる。人がやったことは、あなたはもっとよくする」と言う言葉を見つけた。アグネスは「自分がスタンフォードで何ができるのかを考えたとき、それは『日米の比較文学』だと思った。人のやってないこと、自分ができることを考えれば、道が見えてくる。自分の立ち位置が分かる」と話した。

68歳の誕生日を迎えて、07年に初期の乳がんの摘出手術を受けたことを振り返った。「その後、5年間も治療したんですが、薬の副作用が本当につらかった。笑えずにいました。でも、一番下の子がまだ小学生で『ママ、今日のジョーク』と言って、調べて覚えたジョークを言って、身ぶり手ぶりで笑わせてくれた。笑っていいのか、泣いていいのか分からなかったけど、大笑いした。そうしたら、彼は毎日、『今日のジョーク』を言ってくれた。どんなに助けられたことか」。そして「毎日が誕生日。命はいつ終わるのかわからない、毎日、今を大事にする、お祝いする」という言葉を挙げた。そして「この命、実施はラッキー。生きてることに感謝して笑ってすごしている」と話した。

さらに「乳がんになった時は、子供たちが結婚するのも孫の顔も見られないのかと思ったけど、初孫も生まれた。子供たちのことを『よくやったな』と誇りに思う。本当にうれしい」と話した。

小さな時から信じている「愛されるより愛する」について「人間の一番大きな力は愛すること、人を思いやることだと思う。誰にでもできるし、自分で選択できる。筋肉と同じで、使えば使うほど強くなる。子供には『幸せになりたいなら、待っているんじゃなくて、自分から愛することが必要だよ。1人、1人を大事にしなさい』と教えています。自ら行動を起こして思いやることが大事。この本を手に取っただけで元気になり、読んだら幸せになります」と笑った。そして、3人の息子たちに「絶対に読んでね。壁にぶつかった時、寂しくなった時、この本を読めば前向きになれるから」とエールを送った。

アグネスは86年に元マネジャーだった1歳年上の金子力氏と結婚。その後は二人三脚で芸能活動を続けてきた。金子氏からは「今日の努力は明日の実力。成功する人はいつも準備万端(整っている)」という言葉をもらった。「人の成功は運じゃない。いつも準備をしているからチャンスが来た時に成功できるんだと思う」と話した。

86年に施行された「男女効用機会均等法」の新卒社会人が就職した87年には「アグネス論争」が巻き起こった。前年に生まれた長男をテレビ局などの仕事場に連れて行ったことに対して、作家の林真理子氏(69)が甘えだとして「いいかげんにして」と批判した。林氏は現在、日大理事長を務めて学生の大麻逮捕で矢面に立っているが、アグネスは「学生たちが何を学び、何を人生に生かして行けるかが教育者の課題。幸せになってほしいし、恨みはないです」と振り返った。

そして「今日は自分の思いを100%伝えられた」と笑顔で振り返りながら「今、思い付いた言葉があります。それは『幸運な人生を選ぼう』ということ。いつも意識して、いい選択をしていけば、いい人生になる。そのために勉強すれば、結果としてついてくる。この人は、いつもついているなという人は、自分は自分の選択の結果なんだと思う」と話した。