24年度前期のNHK連続テレビ小説「虎に翼」が、4月1日から始まる。日本初の女性弁護士となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんがモデル。高視聴率だった前作「ブギウギ」の笠置シヅ子さん同様、戦前戦後を生きた実在の人物である。三淵さんの母校の明治大学史資料センター所長で、同ドラマの法律考証を担当する村上一博・法学部教授(68)に、生きざまや人物像を聞いた。【笹森文彦】

三淵(旧姓武藤)嘉子さんは、日本の女性法律家のパイオニアである。

1914年(大3)11月13日に、東京帝大法学部(現東大)を卒業し、日本統治下の台湾銀行に勤務していた武藤貞雄氏の長女として、シンガポールで生まれた。父は「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな。男と同じように、専門の仕事を持つために勉強をしなさい。医者になるか、弁護士はどうか」(80年5月「法学セミナー」参照)と言った。

村上所長 お父さんはシンガポールやアメリカのニューヨークでも勤務した方。海外生活が長く、当時としてはハイカラ(西洋的)な考えの持ち主だったようです。女性に対しても理解があったのでしょう。三淵さんに与えた影響は大きかったと思いますね。

その後、帰国した三淵さんは、32年(昭7)に東京女子高等師範学校付属高等女学校(お茶の水女子大学付属高の前身)を卒業。法律を学ぶため、同年4月に明治大学専門部女子部法科(3年制)に入学した。

同女子部法科は3年前の29年に創設された。33年5月に弁護士法が改正され、男性だけだった弁護士資格が、女性にも開放されることを見越しての創設だった。ただ高等文官試験司法科試験(現在の司法試験)の受験には、大学の学部在学中か卒業生、文部省が指定した専門学校の卒業生など、規定があった。

村上所長 弁護士を目指すには、女子部を卒業して、大学の法学部に編入しなければならない時代でした。三淵さんが法学部を卒業する時、総代として卒業証書を受け取ったそうです。優秀だったのでしょう。

卒業した38年の高等文官試験司法科試験に、同じ明治大出身の中田正子さん、久米愛さんとともに合格した。女性初の快挙だった。

村上所長 合格後、1年半の研修を経て弁護士登録となるのですが、戦争の時代ですよね。女性に限らず、弁護士はほぼ仕事がなかった。戦時体制ですから、自己の権利主張のために裁判をという、そんな時代ではなかった。母校の教員になって、生活の足しにしていたようです。

41年に結婚し、男の子が誕生するが、44年に夫が召集された。45年には空襲で自宅を焼失した。幼い息子と福島県内に疎開した。30歳の時である。

村上所長 三淵さんには4人の弟がいた。一番上の弟は戦死。お父さんは銀行員を定年になっていて、いい仕事が見つからない。そうすると、経済的な負担が長女にのしかかってくるんです。戦争中は非常に生活難に陥っています。

敗戦を疎開先で迎えた。翌46年5月、中国から引き揚げてきた夫が、長崎の病院で胸膜炎のため再会できぬまま死去した。47年1月には母が脳出血で、同10月には父が肝硬変で死去した。弟も含め、4人の肉親を相次いで失った。

三淵さんは悲しみの連鎖の中の47年3月、司法省(現法務省)に1人で出向いて、裁判官採用願を提出した。直談判だった。

村上所長 経済的な理由もあったと思いますが、戦前の試験に合格した時、男は裁判官、検察官、弁護士を選べるのに、女性は弁護士しか選べなかった。なぜ女性が不平等な扱いを受けるのか、という疑問を持っていたのは確かです。新憲法が公布され、男女平等の世の中になったのだから、私も裁判官になれると申し出たと思います。

すぐに採用されなかったが、裁判官の仕事を学ぶために、司法省で勉強するよう勧められた。この期間が貴重なものとなった。

村上所長 特に家族法の大改正がありましたから、GHQ(連合国軍総司令部)と話し合いをしたり、いろんな法律家と改正案をつくったりした。家庭裁判所の立ち上げにも関わっている。いい勉強になったと思いますね。

そうして49年に東京地裁の民事部判事補となる。日本で2番目の女性裁判官だった。56年に再婚。72年には新潟家裁所長に就任。日本初の女性裁判所所長だった。以後、浦和家裁(現さいたま家裁)、横浜家裁の所長を務めた。通算17年、家裁で仕事をして、5000人以上の少年、少女の審判に携わった。79年11月に定年退官し、84年5月28日に69歳で死去した。

村上所長 少年犯罪については、裁判や処罰ではなく、教育が一番大切だということを最後まで主張されていました。少年法の年齢引き下げには猛反対されていた。女性弁護士第1号で、裁判官にもなったが、戦前から苦難の連続で、エリートと思ったことは1度もない方です。ドラマでは、女性法律家のパイオニアの葛藤、荒波などを見てほしいですね。

■いち早く門戸開いた母校の明治大学

三淵さんの母校の明治大学は、前身が1881年(明14)開校の明治法律学校で、いち早く法学を志す女性に門戸を開いた。日本初の3人の女性弁護士を輩出し、その後も司法科試験の女性の合格者は、女子部・法学部の出身者がほとんどを占めた。建学の精神の「権利自由」「独立自治」は、三淵さんを始め女性法律家にも受け継がれた。

女子部は明治大学短期大学などを経て、06年に閉校となったが、その伝統は情報コミュニケーション学部に継承されている。

東京・神田駿河台のアカデミーコモンにある明治大学博物館では、25日から「女性法曹養成機関のパイオニア-明治大学法学部と女子部-」(特別展示室2)と、NHK財団主催で「連続テレビ小説『虎に翼』展」(同室1)が同時開催されている。誰でも無料で観覧でき、ともに10月28日まで開催される(休館日あり)。

■主役は伊藤沙莉

NHK連続テレビ小説110作目の「虎に翼」は、三淵さんをモデルに、激動の時代を生きた1人の女性法曹と仲間の物語をフィクションとして描く。主役の猪爪寅子(ともこ)を伊藤沙莉(29)が演じる。母役の石田ゆり子、父役の岡部たかしを始め、仲野太賀、松山ケンイチ、小林薫らが出演する。「虎に翼」は中国の著書「韓非子」の言葉で、「鬼に金棒」と同じく「強い上にさらに強さが加わる」という意味。

■実在の人物がモデル

NHK連続テレビ小説には、実在の人物をモデルにしたり、参考にした作品は数多い。終了したばかりの「ブギウギ」や「らんまん」「エール」「まんぷく」「マッサン」「あさが来た」など、ほとんどの作品が人気を得た。“朝ドラ”は新聞小説のテレビ版として、毎朝定時に見られるドラマとして61年にスタートした。主婦層が主なターゲットで、女性の自立や社会進出、夫婦の絆といった内容が多い。「虎に翼」も注目されそうだ。

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)札幌市生まれ。83年入社。主に文化社会部で音楽担当。取材で東京・駿河台に久々に行ったが、校舎がタワービルになるなど激変にビックリ。さらに楽器店の多さにも驚いた。まさに十年一昔である。