テレビの料理番組などで人気を集めた中華の料理人、周富徳(しゅう・とみとく)さんが8日午後11時37分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため横浜市中区の病院で死去した。71歳。横浜市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長男志鴻(しこう)さん。軽妙な話術と手際のいい調理法で注目され、バラエティー番組「料理の鉄人」などで活躍。タレント活動も幅広くこなした。

 「炎の料理人」と呼ばれた周さんが逝った。中華鍋を豪快に振り回して火柱を立たせるダイナミックな調理法。カメラに向ける鋭い視線、テンポの速い独特の語り口。視聴者から親しまれ、日本の中国料理界のトップに君臨した「食のヒーロー」も、病魔には勝てなかった。

 昨年8月に肺炎を患い、オーナーを務める東京・青山の中華料理店「広東名菜

 富徳」で毎月行っていた料理教室を休んだ。その後は入退院を繰り返し、最近は病状が悪化していた。

 弟の料理人、富輝(とみてる)さん(63)は「兄には糖尿の持病があった。亡くなる3~4日前に見舞いに行って、『どう?

 元気?』って短い会話をした。それが最後になった」と振り返った。

 富輝さんは現在、横浜市中区で中華料理店「生香園」を経営。「兄は俺の師匠。たくさん教えてもらった。兄を超えるのが恩返しだと思っているけど、たぶん無理。でも頑張るよ」。報道陣や参列者が殺到することを予想し、家族葬にしたという。「やっぱり、残念だよ」と表情を曇らせた。

 周さんは90年代にテレビ東京系「浅草橋ヤング洋品店」にレギュラー出演し、料理の手際の良さや、三枚目のキャラクターが受けた。もも引き姿で中華鍋に乗り、スキー場を滑るなど、一流の料理人でありながら型破りな一面も見せた。フジテレビ系「料理の鉄人」では独創的な中華料理を披露し、名勝負を繰り広げた。テレビやCMに引っ張りだこになり、94年には料理人役でドラマに出演。浅野ゆう子とも共演した経験もある。

 両親は中国広東省出身。横浜の中華街で料理人の父親の仕事を見て育った。高校卒業後、都内の中華料理店やホテルで修業。経営に乗りだした店が好評だった。食材を生かすのがモットー。青山の「富徳」では、父親譲りで香ばしい「塩鮭のチャーハン」と、自身が90年ごろに考案した「小海老マヨネーズソースあえ」がお勧めメニューだった。

 「富徳」で店長を務める森岡威之(たけし)さん(43)は「優しい人だった。テレビ局のスタッフにも優しくて、『いい番組を作ろう』と心掛けていた。それがみんなに愛された理由だと思う」と話した。

 ◆周富徳(しゅう・とみとく)1943年(昭18)3月11日、横浜市山下町生まれ。武相学園高ではバスケットボール部で活躍。卒業後の61年、東京・新橋の広東料理店「中国飯店」に入社し、10年間修業を積む。東京・新宿の京王プラザホテル「南園」副料理長、聘珍樓(へいちんろう)グループ総料理課長、東京・赤坂の「璃宮」総料理長を歴任。95年に東京・青山で自営店を構え、独立した。NHK「きょうの料理」などテレビ番組で講師も担当。