手にも心にも、ズシリと重く感じる写真集を開いた。「満州国の近代建築遺産」。撮影された船尾修さんは、第42回土門拳賞を受賞した。

どっしりとして重厚な中にも繊細で美しいデザイン。旧満州(中国東北部)に日本人が建てた400もの建築物を船尾さんは細部の装飾まで浮かびあがらせるモノトーンの写真に収めた。

30年以上前、中国残留孤児(邦人)の取材で何度もこの地を訪ねた私も、なつかしさが込み上げてくる。

肉親への手がかりを求めて、孤児たちが酷寒のなか十重二十重に取り囲んだ大連の旧ヤマトホテル。瀋陽の遼寧賓館。赤れんがに白い石を施した瀋陽駅は当時の東京駅をモデルにしたものだ。それらの建築物は、いまも人々の中で息づいている。

船尾さんは、威容を誇るこれらの建物は日清、日露戦争に勝利を収め、「日本人はすごいんだ」と思い込んだ自信の表れだったとみる。だが170万人が暮らしたこの地に、日本がかつての清王朝の皇帝を引っ張り出して建国した傀儡(かいらい)国家「満州国」は、1932年からわずか13年で終焉(しゅうえん)を迎える。

異国に取り残された人々は逃避行の中で数十万人が命を落とし、日本兵はシベリアに抑留された。女性と子どもばかりになった満蒙開拓団からはおびただしい数の人が残留孤児、邦人となった。

だが船尾さんは、あとがきでも満州国について多くを語らない。すべてを、白黒フィルムがシミ1つ、汚れ1つ逃さず浮かび上がらせた建築物の姿に委ねる。

それらの写真は、いつの日か建物がついえたとしても、私たちの国がかの地で何をしたのか、歴史は消せない、消してはならないと雄弁に語ってくれるに違いない。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。