2011年3月の東日本大震災で被災した宮城県女川町に、また1つ復興の灯をともした。サッカーの全国地域チャンピオンズリーグ決勝ラウンド最終日が26日、千葉県市原市内で行われ、東北代表のコバルトーレ女川が関西代表のアミティエSC京都を1-0で下し、勝ち点7で初優勝。来季の日本サッカーリーグ(JFL)昇格を決めた。震災後は1年間活動を休止し、復興のためにボランティア活動に尽力。本業のサッカーでも、地域に勇気と希望を届けた。

 試合終了のホイッスルに涙と笑顔が交錯した。選手たちが地元から来た約50人のサポーターのもとへ、優勝報告に歩み寄る。年配の男性が「よくやった!」と絶叫した。震災時を知る阿部裕二監督(46)の目から、一筋の涙が頬を伝った。「長かったな…。僕は震災の年に就任して7年、いろんな、みなさんの思いでここまでつないだ。それが自分の中で1つになって涙になりました」。

 退場者を出し10人となっても、走力は落ちない。後半36分、ゴール前のこぼれ球をFW高橋晃司(24)が蹴り込み決勝点。3日間の過酷な3連戦を1勝2分け(2PK勝ち)でしのぎ、下馬評を覆した。「これは自分たちの戦いでなく東北の人のためにやらなきゃいけない。他のところでも被災して一生懸命やっているチームもある。そういったチームの代表なので」(阿部監督)。震災を経て、チームの根底にネバーギブアップの精神が宿った。

 クラブ創設後約5年の11年3月11日、女川町が大津波にのまれた。町は壊滅的な状況に陥り、900人以上の死者・行方不明者を出した。チームのクラブハウスと寮も全壊。存続の危機にひんしたチームは1年間活動を休止し、ボランティア活動などに汗を流した。先の見えない時期を過ごしただけに、主将のFW成田星矢(31)は「ここにたどりつけるとは思わなかった」と感慨深げだった。

 この日、女川町はパブリックビューイングを開催。チームの勝利を遠くから願った。「見えない力を感じた」というチームは来季、アマチュア最高峰の舞台で戦う。阿部監督は女川町の復興も視野に「観戦前後に泊まってもらって、地元に経済的な効果をもたらせたらいい。滞在型のシステムを、僕らが考えたい」。

 サッカーを通じて町に元気を与えたい。「地域貢献」をテーマに掲げるクラブは復興のシンボルとして、歩みを止めるつもりはない。【佐藤隆志】

 ◆女川町(おながわちょう) 宮城県東部、牡鹿(おしか)半島の根元部分に位置。町名は、11世紀の前九年の役で東北地方の豪族、安倍貞任(あべの・さだとう)が、一族の女性と子供を避難させた土地から流れ出す渓流を「女川」と呼んだのが由来とされる。カキ、ホヤ、ギンザケなどの養殖が盛ん。1984年(昭59)に女川原発が運転開始。地元出身の俳優中村雅俊が観光大使を務める。先月末現在の人口は6670人。東日本大震災で震度6弱、襲った津波は最大14・8メートル。死者・死亡認定者816人、行方不明者125人、確認不能者2人。住居4568棟中、3888棟が全半壊。被害額は推定約785億円。

 ◆コバルトーレ(Cobaltore)女川 「女川スポーツコミュニティー構想」のもと、2006年4月に誕生。チーム名は「青い(コバルトブルー)海」と「森(スペイン語でフォーレ)」をイメージした造語。本拠地は女川町総合運動公園第2多目的グラウンド。選手は地元の水産加工会社などに勤務。将来はJリーグ入りを目指している。