夏以降体重は7キロ減り、衆院選後、3キロ戻った。衆院解散後の「排除」の流れを受け、民進党を出て立憲民主党を立ち上げ、排除勢力に一矢報いた枝野幸男代表(53)が、日刊スポーツのインタビューに激動の日々を振り返った。左右混在の勢力から、主張が統一された野党第1党に。古巣が求める統一会派の打診も「国民への裏切り」と否定的だ。趣味のカラオケは選挙後に解禁。自身の境遇が反映されたような「不協和音」(欅坂46)を、再び熱唱した。年末連載「プレーバック2017」で、今年の取材現場を振り返る。

 「選挙中は量っていませんが、(9月)の民進党代表選の前から比べて、衆院選が終わった時点で体重は7キロ減っていた。もう3キロ戻りましたが(笑い)」

 小池百合子都知事の「排除」発言で民進党が分裂する中、枝野氏は希望の党に合流しない同僚の受け皿となる立憲民主党を、衆院選公示の8日前に立ち上げた。想定外の新党結成と初の党代表就任で、超短期決戦。体重の増減は、激動の日々の証しといえる。

 「こんな展開自体がびっくり。54議席いただけたこともびっくり。ありがたかった」と振り返る。衆院選から2カ月。「期待に応え続けることは簡単じゃない。何をすればいいか模索している」。党代表となり、久々にSPが付く生活。「ふらっと、ラーメン店に行けなくなった」という。

 9月28日の民進党両院議員総会。当時の前原誠司代表は、党丸ごと希望の党との合流を強調したが、翌日の「排除」発言で、根拠は崩壊。自身は27日に、「希望には行かない可能性が高い」と考え、前原氏の協力要請にも「邪魔はしない」とだけ伝えた。結党前夜、周囲に「ひと晩寝て、考えが変わらなかったらやろう」と伝え、翌朝、目覚めた瞬間から動き始めた。

 文字は異なるが、枝野氏の名前は憲政の神様・尾崎行雄が由来。立憲主義を重視した党は、野党第1党に躍り出た。排除発言には怒り心頭と思いきや、「その段階は無所属で戦うか、党を立ち上げるか考えていた。大変で、関心を持つ余裕はなかった」と明かした。

 一方、排除発言は立ち位置を明確にする呼び水になった。「こういうことが望まれていたと、選挙を戦って気付かされた。もっと早く気付けなかったことを反省しています」。じり貧の民進党は、立憲&希望に統一会派を打診する方針だが、枝野氏は否定する。「今の希望の党、民進党には、いろんな考えの人がいる。元のさやに戻るような動きは、有権者を裏切る。考えが違う政党への打診はどういうお考えか、逆に聞いてみたい」。

 道が分かれ、希望に加わった前原氏とは選挙後、何回か電話で話した。初当選同期でカラオケ仲間。ともに歌う日も「遠からずは来るんじゃないですか。政治的な判断は違うが、個人的な人間関係は別」と述べた。

 カラオケは、枝野氏の趣味。衆院選後、お気に入りでもある欅坂46の「不協和音」を何度も歌った。「1度妥協したら死んだも同然」など、歌詞は枝野氏が直面した環境に重なるが「私のためにつくってくれたような歌詞と、6月ごろから言っていた」。当時は、共謀罪法案が強行採決された。だから「『僕は嫌だ』と思う相手は前原さんではない。安倍さんです」。

 野党間の「不協和音」はまだ整わないが、年明けからは首相との本格対決が始まる。来年の見通しを聞くと「今年、想像もつかない激動を経験し、見通しを立てても仕方ない」と言う半面、「いつまで安倍さんが総理でいるかも分からない。予断は持たず、柔軟性とぶれない軸を持ちたい」。新党結党に動く原動力になった「枝野立て」の声の主は、今後の言動を注視しているはずだ。【中山知子】

 ◆民進&希望の現状 民進党は、ドミノ離党が続く。22日も、比例の江崎孝参院議員が離党届を提出、その足で立憲民主党の枝野代表と会い、入党届を渡した。26日に承認される見通しだ。江崎氏のようなケースは今月、すでに3人目。影響力が大きい蓮舫元代表やほかにも複数の議員が離党→立民入党を検討しており、党基盤は流動化している。希望の党は、小池氏に代わり玉木雄一郎氏が代表に就いたが、なかなか存在感を示せない。党内では民進との統一会派に好意的な声がある半面、結党メンバーの細野豪志氏らは反発。細野氏が年内に離党との臆測も流れる。玉木氏は22日、統一会派には安保関連法案など政策面のすり合わせが不可欠との認識を示した。

 ◆枝野幸男(えだの・ゆきお)1964年5月31日、栃木県宇都宮市生まれ。東北大法学部卒。弁護士を経て日本新党の公募に応募、93年衆院選で初当選。旧民主党政権で官房長官、経産相を歴任。初代の民進党幹事長。カラオケは、東海林太郎から欅坂46まで歌う。衆院埼玉5区。当選9回。