東京2020オリンピック(五輪)開幕まで1カ月余りとなった。オリンピックを盛り上げるのは選手の活躍だけでなく、音楽も貢献している。57年前の東京オリンピックでは「東京五輪音頭」が大ヒット。アジアで初めてのオリンピックというお祭りムードを盛り上げた。その後、NHKや民放各局が中継や報道番組のテーマソングを決め、音楽でも感動を増幅させている。夏のオリンピックと音楽の歴史振り返る。【笹森文彦】
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日本は12年(明45)の第5回ストックホルム大会(スウェーデン)で初めてオリンピックに参加した。アジアから初参加で、選手2人ながら大歓迎を受けた。1世紀以上前である。
オリンピックに関わる音楽が日本に登場するのは、第10回ロサンゼルス大会(32年=昭7、アメリカ)からと言われる。このころ日本コロムビア、日本ビクター、ポリドールなどのレコード会社が成長した。
前回の第9回アムステルダム大会(オランダ)で、日本人が初の金メダルを獲得。大いに盛り上がり、ロス大会には192人の大選手団を送り込んだ。応援歌なども多数制作された。その代表が「国際オリンピック選手派遣応援歌~走れ大地を~」である。
<歌詞>走れ大地を 力のかぎり 泳げ正々 飛沫(しぶき)をあげて 君等(ら)の腕は 君等の脚は 我等が日本の 尊き日本の 腕だ脚だ
朝日新聞社が歌詞を募集した。約5万点の中から、当時17歳だった斎藤龍さんの作品が選ばれた。「走れ大地を」として山田耕筰氏が作曲し、歌手中野忠晴が歌唱した。開幕約2カ月半前の32年5月15日夜に朝日講堂で大々的な発表会が組まれた。しかし、その日に犬養毅首相が殺害される五・一五事件が起き、発表会は中止となった。
4年後の36年(昭11)の第11回ベルリン大会(ドイツ)は、ヒトラー政権下で開催された。応援歌などが定着し「あげよ日の丸」(中野忠晴)などが発表された。大会後には「前畑(秀子)頑張れ!」の名実況を生んだ競泳女子200メートル平泳ぎ決勝のライブレコードも発売されている。
この年の国際オリンピック委員会(IOC)で、40年(昭15)に東京で第12回大会が開催されることが決定した。すぐに「オリンピック選手歓迎歌」(伊藤久男)「東京オリンピック」(古川緑波)「青春オリンピック」(林伊佐緒)などが制作された。しかし、日中戦争などの影響で、日本政府は38年7月に実施を返上。幻の五輪ソングとなった。
戦争の時代でも「平和の祭典」には音楽があった。戦後、ますます結び付きを強くした。新型コロナウイルス感染症の中であっても、その強固さは揺るぎないはずである。
◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)北海道札幌市生まれ。83年入社。72年の冬季札幌オリンピックは中学生で「銀盤の妖精」と呼ばれた女子フィギュアスケートのジャネット・リン(当時18)に恋した。部屋中に彼女のポスターを貼り、彼女に会うため貯金箱をつくり渡米計画を立てた。貯金はしばらくして頓挫。フィギュアスケートは無理だが、スキーで次の五輪に出れば会えると、国体予選の大回転にエントリーも、わずか第3旗門で転倒し棄権。夢破れた。血液型A。
<五輪と日本の歌メモ>
戦後日本の夏季オリンピックと音楽のアレコレです。(取材協力=一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団)
◆第15回ヘルシンキ大会(52年、フィンランド) 第2次世界大戦後、16年ぶりに日本が参加した。64年の東京大会で「東京五輪音頭」が競作となったが、この大会でも「オリンピックの歌」(作詞・山田千之、作曲・高田信一)が競作となった。灰田勝彦、長門美保、藤山一郎、瀬川伸、竹山逸郎らが歌った。ヒット曲「上州鴉」でNHK紅白歌合戦に出場した瀬川伸は瀬川瑛子の父。
◆第18回東京大会(64年、日本) 開会式では古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」が演奏された。「東京五輪音頭」(作詞・宮田隆、作曲・古賀政男)が初の大会公式テーマソングで、三波春夫(テイチク)橋幸夫(ビクター)三橋美智也(キング)坂本九(東芝)北島三郎と畠山みどり(日本コロムビア)大木伸夫と司富子(ポリドール)つくば兄弟と神楽坂浮子(ビクター)の6社競作となった。この他「この日のために~東京オリンピックの歌」(三浦洸一と安西愛子)「バンザイ東京オリンピック」(面高陽子)「さあ!オリンピックだ」(平尾昌章と伊藤アイコ)など数々の関連歌が発表された。また、この年「東京の灯よいつまでも」(新川二朗)「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)「東京ブルース」(西田佐知子)「サヨナラ東京」(坂本九)「恋の山手線」(小林旭)「あゝ上野駅」(井沢八郎)など、東京にまつわる作品がヒットした。
◆第24回ソウル大会(88年、韓国) NHKが初めて中継や報道番組のテーマソングを制定した。その第1号がヘビメタの女王として人気だった浜田麻里の「Heart And Soul」。NHKは以後、92年のバルセロナ大会(スペイン)で寺田恵子、96年のアトランタ大会(アメリカ)で大黒摩季、00年のシドニー大会(オーストラリア)でZARD。そして16年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)で安室奈美恵と主に女性歌手を起用した。ちなみに冬季五輪でも、リレハンメル大会(94年、ノルウェー)は高橋真梨子、ソルトレークシティー大会(02年、アメリカ)はMISIA、トリノ大会(06年、イタリア)は平原綾香だった。NHKに続き、民放各局も各大会でテーマソングを決めた。
◆第28回アテネ大会(04年、ギリシャ) NHKのテーマソング「栄光の架橋」(ゆず)は、記憶に残るテーマソングである。特に体操男子団体で28年ぶりの金メダルを確定させた鉄棒最終演技(冨田洋之選手)で、NHKの刈屋富士雄アナウンサーが発した「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」は五輪実況史上に残る名フレーズとなった。
◆第32回東京大会(21年、日本) 全国の民放テレビ局共同企画の応援ソング「SMILE~晴れ渡る空のように~」(桑田佳祐)が発表されている。NHKは、いずれも米津玄師が手掛けた「カイト」(嵐)と「パプリカ」(Foorin)をオリンピック・パラリンピック関連曲としている。また「東京五輪音頭」が「東京五輪音頭-2020-」(加山雄三、石川さゆり、竹原ピストル)として復活している。ただ、いずれの楽曲もコロナ禍で存在感は薄くなっている。少しでも大会の盛り上げに寄与してほしいものだ。
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■64年東京大会で5枚組LP
64年の東京五輪後、「TOKYO 1964」というLPレコード5枚組が日本コロムビアから発売されている。録画は普及しておらず、「音」で大会を記録した。1枚目は「開会式」で選手団入場、天皇陛下の開会宣言、日本選手団・小野喬主将(体操)の選手宣誓などが収録されている。2枚目以降は大会日程順で競技ハイライト。5枚目は「閉会式」で、最後は「別れの歌」(蛍の光)の合唱で終わっている。日本コロムビア関係者は「実況を中心に収録したものと思われ、大変貴重な音資料です」と話している。
■五輪と日本音楽の歴史紹介
古賀政男音楽博物館で、企画展「オリンピックと日本の大衆音楽」が開催されている。コロナ禍で一時閉館していたが再開した。パネル展示だけでなく、戦前の貴重なレコードやCDなどを多数展示。日本における夏冬オリンピックの歴史を、音楽との関わりから紹介している。古賀氏が作曲し、競作となった「東京五輪音頭」の各レコード会社のジャケットや、他の五輪関連レコード、各テレビ局のテーマソングのCDなども並ぶ。一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団の主任学芸員の宮本紘視氏は「オリンピックと音楽の関係をまとめている企画展はこれまでなかった。古いレコードなどを集めるのは大変でしたが、古賀先生が愛した五輪を少しでも盛り上げられれば」と話している。展示は8月31日まで(月曜日休館)で入館料あり。所在地は東京都渋谷区上原3の6の12。代々木上原駅から徒歩3分。

