東京・池袋の都道で19年に乗用車が暴走し、松永真菜さん(当時31)と長女莉子ちゃん(同3)が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)罪で在宅起訴された、旧通産省工業技術院元院長・飯塚幸三被告(90)の論告求刑公判が15日、東京地裁で開かれた。東京地検は禁錮7年を求刑した。

起訴状によると、飯塚被告は19年で4月19日に都道を走行中に車線変更を繰り返す中でアクセルを誤って踏み、時速60キロから84キロまで加速させ、その後も踏み続けた結果、事故発生当時は96キロまで加速し、交差点で松永さん母子らをはねて死亡させ、9人を負傷させた。

被害者参加制度を使って裁判に参加した真菜さんの夫の松永拓也さん(34)と父の上原義教さんは、この日、心情の意見陳述を行い、公判後、会見を開いた。その中で「求刑に関しては禁錮7年…本音を言えば2人の命が亡くなり、9人が重軽傷…なのに7年は足りるものではない。ただ、日本は法治国家。過失運転致傷罪の最大…検察官の判断に感謝したい。ここまで来る日まで長かったですけど…むなしさとやれることはやった、終えたという複雑な感情でいます。(裁判を)やって良かったと思います」と率直な思いを語った。

一方で、飯塚被告に対しては疑問を呈し続けた。6月21日の第8回公判で、松永さんが直接、質問した際、同被告は「心苦しいとは思いますが。私の記憶では(アクセルとブレーキの)踏み間違えはしておりませんので、私の過失はないものと思っております」「アクセルを踏んでもいないのにエンジンが異常に高速回転し、加速した」などと、あくまで問題は車両の方にあると無罪を主張。その主張は、論告求刑公判でも変わらなかった。

松永さんが「やはり最終弁論で、相手側の主張は変わらなかった。裁判長が『最後、言いたいことはないか』と言ったら『自分の過失はない』と変わらず主張し続けた。心情の意見陳述を、私が心がつぶれそうになって読み上げても、変えられないんだな」と飯塚被告が最後まで過失を認めず、反省の姿勢を見せなかったことに首をかしげた。その上で「あの人は変えられないからこそ、罪と遺族の無念と向き合う時間が必要…それは刑務所に入ること。公平で公正な判決を願いたいと思います」と訴えた。