意外と知られていないが、中日の与田剛監督(55)は阪神OBである。89年ドラフト1位で中日入りした後、ロッテ、日本ハムと移り、99年オフに阪神へテスト入団を果たした。秋季キャンプから翌00年のオープン戦にかけて、野村克也監督はじめ首脳陣からは抑え候補として期待を受けた。ところが故障が続き、1軍戦の登板はならず。ウエスタン・リーグ2試合に登板し、現役生活を閉じた。兵庫・有馬温泉での選手会納会で、浴衣姿を見掛けたのが最後となった。
今年5月11日の阪神-中日戦はこのカード通算2000試合目。同じく中日・阪神OBの阪神矢野燿大監督(52)と、伝統ある一戦にふさわしい顔合わせであった。
復活を期すかつての名ストッパーを、阪神在籍中に何度か取材する機会があった。どんな質問の意図も瞬時に把握し、まるで打ち合わせたかのようによどみなく答える。その頭の回転の速さには、心の底から敬服した。「この方はいずれ、素晴らしい野球解説者になる」と確信したものだ。後のNHKでの大活躍を見て、ひそかに悦に入っていた。
多くの選手たちと同様、甲子園への思い入れもまた強かった。千葉・木更津中央時代には出場はならず。中日に入団し、ようやく憧れのマウンドに立った。「甲子園ではほとんどが阪神ファンでしょう。大歓声をシーンと黙らせるのが楽しみでした。それが味方になるんですね」。あの広い背中に、聖地の大声援を受けることはないまま終わった。今でも残念でならない。
ところで、与田監督とはひとつ約束したことがある。若き日の与田青年は、1963年に起きたジョン・F・ケネディ米大統領暗殺に関する書籍を熟読。そして2039年に行われるとされる事件の情報公開に、強い関心を語っていた。「そのときは絶対に元気でいて、資料を読みたいと思っているんです」。その時点で39年後である。ずいぶん先の話だと思ったが「再会して感想を語り合いましょう」と告げて、虎風荘のロビーで別れた。
気がつけば、あれから21年がたった。謎が明かされるまで、あと18年。いつの間にか、当時より2039年のほうが近くなってしまった。そのころ与田監督は74歳だ。球界の重鎮として、ご意見番を務めているだろうか。いや待てよ、まだまだ元気いっぱいに監督業を続けているかもしれない。そして73歳の私は、どこで何をしているのだろう。【記録担当 高野勲】




