若い読者にはピンと来ないかなという思いも、少々あるのですが、新しい年に当たって少し書いてみたいと思います。

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このコラムにもよく登場するイチロー氏の話です。90年代半ばのオリックス黄金時代に担当記者として連日、彼を取材。大リーグに渡ってからはオフに神戸で自主トレを行うタイミングでふらりと訪ね、会話を重ねてきました。

その神戸での日々。イチロー氏は同じルーティンを続けていました。宿舎からコンビニに寄ってサンドイッチなどを買ってから練習に向かいます。終わればいきつけの店で食事をし、さらにこれも同じカフェによって1日を終えるというものでした。

数年前のあるとき、何の気なしにこんな言葉を掛けてみました。「たまには三宮辺りに出てみる?」。

イチロー氏も他のプロ野球選手同様、オリックス時代の若い頃は遠征先などでそれなりに繁華街に繰り出していたものです。福岡遠征中に中洲の真ん中でばったり会って「おい~!」みたいな感じになったこともあります。

その雑談をしたとき昔を思い出し、そんな話をしてみたのです。するとイチロー氏はこんな答えをしたのです。

「う~ん、もう、できないですね。どこで誰が見ていて、どんな風に受けとられるか分からないですから。写真だって今はスマホですぐに撮られますしね」

確かに著名人、有名人の中でもイチロー氏は神秘的というか独特のムードを醸し出しています。夜の街をウロウロしている姿をさらすのはあり得ないということでしょう。

思い至らなかったこちらはすぐに反省しましたが同時に「知られるのもめんどくさいね」という話をしました。そのときです。イチロー氏は苦笑を浮かべながら、こんなことを話したのです。

「そうですね。だからね、人間、得たものも大きければ失ったものも大きいということですよね」

これは別に目新しい考えではないですし、イチロー氏にすれば単なるジョーク交じりだったとも思うのです。それでも彼の口から出たこの言葉はこちらにずしんと響きました。

プロ野球選手になりたいと思い、少年時代から努力を重ね、それを実現。さらに誰もマネのできない成績を残し、大リーグに挑戦。挑戦どころか大リーグ史上に残る年間安打数の新記録までつくり、殿堂入りも有力とされています。当然、ビッグ・マネーも手にしましたし、愛妻とともにゆっくり暮らしている。

一般人から見れば想像もできないようなセレブに、それも自身の実力でなっているのですから、まさに偉人の部類に入る存在です。それでもイチロー氏の口から出たその言葉は実に人間くさく、世の中の真実を感じさせる気がしました。

どれだけエラくなっても、お金持ちになっても、それなりの悩み、不自由はあるということです。そう思えば、仕事やプライベートのいろいろな面で苦労している我々、一般人と変わらないのかな、と思って妙に納得したのです。

誰にでもそれなりのサイズの悩みはあるし、逆に言えば喜びもあるということです。大事なのは他人に惑わされず、自分のそれを感じることだと思うのです。

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新しい年がやってきました。毎年書きますが世の中、晴れがましい気持ちで新年を迎えた人ばかりではないでしょう。特に今年はコロナ禍で苦労されている方々も多いでしょうし、これまでにない状況になっています。一体、これから、どうなるのか。そんな不安もあります。

でも振り返れば「これで安泰だ。何の問題もない」と思って暮らしてきたこともないと思います。

あのイチロー氏でも、人生の難しさ、矛盾について感じている。それを思えば、自分の力でそれなりの道を切り開いていかなければならないのは誰にとっても同じことでしょう。

読者のみなさん、そして世の中が少しでもよい方向に進んでほしいと心から思います。そんな願いを込めて書きます。

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)

96年9月23日、イチローはリーグ優勝を決めるサヨナラ安打を放ちガッツポーズ
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