阪神の中継ぎ右腕として活躍し、昨季限りで引退した桑原謙太朗氏(36)は、4月1日からスポーツ用品小売りの「ヒマラヤ」に入社した。プロ10年目の17年に39ホールドで最優秀中継ぎに輝いた遅咲きの苦労人。新天地での意気込みや、苦楽をともにしてきた後輩たちへの思いなどを明かした。【取材・構成=古財稜明】

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阪神のブルペンを支えてきた剛腕が「第2の人生」に進んだ。桑原氏は研修を経て、1日にヒマラヤに入社。岡山市内の「豊浜支店」に配属された。野球用具売り場を担当し、店頭に立つ。アドバイザリースタッフとして、データ解析を利用した野球教室で月に1、2度、指導にもあたる。すでに夫人と4歳の長男とともに、岡山で新生活をスタートさせている。

引退後、「就職活動を1回したい。野球と関係ないところを選択肢に入れました」と複数企業の面接を受けた。最終的には横浜、オリックス、阪神で一緒にプレーし、ヒマラヤに務める高宮和也氏(40)に引退直後から誘いを受けた経緯もあり、2月末に採用が決定。「どういう道具がいいか教えられる。野球人口が減ってきているのもありますし、少しでも増加に貢献できれば」と青写真を描く。

奈良産大から08年に横浜(現DeNA)に入団。11年にはオリックスへ、15年から阪神へとともにトレードで移籍。3球団を渡り歩いた14年間を「不思議な野球人生だった」という。阪神に加入して3年目の17年、打者の手元で鋭く曲がる「真っスラ」を武器にセットアッパーとして活躍。10年目で最優秀中継ぎに輝き、遅咲きと話題になった。「パッとせず、最後にポッと上がれて、『引退』という形も取らせていただいたのは幸せですね」と感慨深げに振り返る。

引退理由は肩肘の限界。引退から約半年が過ぎた3月ごろ、久々に親戚とキャッチボールをする機会があった。「10メートル投げられるかくらいでした。やっぱりそういうことだったんだなと。去年1年間ずっと痛い中で頑張った。痛くて投げられなかったんだなと、しみじみと思いましたね。やり切った感じはすごくあります」。もう悔いはない。

今も後輩の試合はスマホのニュースなどでチェックする。苦戦が続く中継ぎ陣に思いをはせ、最後にエールを送った。「1人1人が切磋琢磨(せっさたくま)して、個人が頑張っていけばチームの力になると思う。特に岩崎にブルペンの長として、何とか頑張って引っ張っていってほしいですね。投手野手問わず、特に生え抜きでスターと言われる選手が数多く出てくれることを願っています」。

○…桑原氏はプロ野球選手のセカンドキャリア支援を行う間口ホールディングス(本社・大阪市)のサポートを受け、就職活動に臨んだ。人財戦略室アドバイザーの加賀谷直樹氏が、かつてスポーツ用品の製造販売の「ZETT」のプロ野球担当者で面識があった縁もあり、アドバイスをもらっていた。

◆桑原謙太朗(くわはら・けんたろう)1985年(昭60)10月29日、三重県生まれ。津田学園-奈良産大(現奈良学園大)を経て、07年大学・社会人ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)入団。10年オフにオリックス、14年オフに阪神へ移籍。17年に自己最多の67試合に登板し、最優秀中継ぎを受賞。通算242試合で15勝13敗78ホールド、防御率3・61。184センチ、86キロ。右投げ右打ち。