中日大島洋平外野手(37)が、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。残り1本で迎えたDeNA戦の3回1死一塁、先発石田から中前打を放った。大学、社会人を経ての達成は古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(中日)に次いで4人目で、左打者では初。中日では17年荒木雅博(現1軍内野守備走塁コーチ)以来7人目で、生え抜きでは5人目。1787試合での達成は球団最速となる偉業となった。

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自然と笑みがこぼれた。3回。1死一塁で迎えた2打席目。DeNA石田の初球139キロストレートを芯で捉えセンター前に鮮やかに運んだ。「届いてほっとした」。一塁コーチの荒木内野守備走塁コーチとガッチリ握手。自主トレをともに行う高橋周、元チームメートの京田、そして享栄時代の監督で、現総監督の柴垣旭延(あきのぶ)氏(82)からサプライズで花束を手渡された。1787試合での大台到達は歴代9位で、中日では歴代最速だ。

達成のボードを、右翼ファンだけでなく一塁側スタンドで見守る家族へも掲げた。この日は、長女実梨さんの12歳の誕生日。家を出る前にプレゼントのパズルを渡したが、永遠に記憶に残る父の勇姿が最高の贈りものになった。

「(長女の誕生日と)おめでたいことが重なった。思い出しやすくて良かった。(帰ったら)家族にはしっかりありがとうと伝えたい」。見守った妻真世さんらへの感謝が口をついた。

家族とともに大島を支えたのはパーソナルトレーナーの土田和楙(かずしげ)さん。プロ5年目の15年1月の自主トレからコンビを組んだ。駒大では同学年の外野手としてしのぎを削った仲だ。再会当時の大島の肉体は「疲弊して、体が硬くなっていた」。体の緊張をほぐし、肉体作りを支える土台を大きくしてパワーとスピード増につなげる肉体改造を始めた。

19年に構えた新居のトレーニング室には数百万円かけて器具をそろえた。打撃への影響が大きい目の衰えを防ぐ機械も導入。左翼を守ることが多くなった今季は、ランニング量を増やした。7月下旬からは打撃時に左肩が下がる感覚を修正。右半身のインナーマッスルにスイッチを入れやすくするために、右手で握ったバットを前に出す新たな構えに変えた。野球への探究心も衰えることはない。

45歳までの現役継続をにらむ大島は、壮大な夢を持つ。09年の入団会見に同席させた長男慶士君(14)はプロを目指し、中学で野球に打ち込んでいる。「いつか同じグラウンドに立てたらいいな。あとは僕がどこまで現役でいられるか」。2点を追う延長12回1死一塁では2001安打目で、次へのスタートを切った。【伊東大介】

◆大島洋平(おおしま・ようへい)1985年(昭60)11月9日、名古屋市生まれ。享栄-駒大-日本生命を経て09年ドラフト5位で中日入団。12年に32盗塁で盗塁王、ベストナインにも輝いた。ゴールデングラブ賞は11、12、14~16、18~21年の9度。19、20年には2年連続で最多安打のタイトルを獲得。2000安打は中日生え抜きでは17年の荒木以来、史上5人目。176センチ、75キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸は2億5000万円(2年契約1年目)。