NO MASK NO LIFE-。「相棒」シリーズ第2回は新日本プロレスのユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」メンバーのBUSHI(36)。毎試合ごとに変えるマスクへの並々ならぬこだわりについて聞きました。【取材・構成=高場泉穂】

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-マスクの数はどのぐらいになっていますか

いま手持ちで持っているのはこれぐらいです。(3月23日の取材時でオーバーマスク含め6)。1回被ったものは2度と使わない。一期一会です。使い終えたものは専用のサイトで売っています。マスクは第三者に渡ったときに価値が出ると思うんです。かぶり手、作り手、売り手、買い手、見る側。みんながウィンウィンで楽しめる。デビュー10周年迎えた17年にマスクの写真集出したんですけど、その時点で余裕で1000は超えてますね。年間150試合ぐらい出て、試合用とオーバーマスクを含めると単純計算で年間300枚以上は作っていますね。

-SNSで発信している「PUKUPUKU工房」「じゃら工房」の2つにお願いしているんですか

SNSをやっていない人を含め、お抱えの職人が6人で、シチュエーションに合わせて作ってもらっています。1つの企業ですよ。

-注文の仕方は

エル・パンテーラという名のレスラーとして活躍していたメキシコ人の方にデビュー当時からタイツを作ってもらっていて、マスクはそれに合わせています。さらに季節感も入れて。春だったらピンクとか、ハロウィーンだったらオレンジとか紫とか。職人さんには縁取りが何色、生地はスパンコールで、とか細かくお願いしています。もう何十通り、何百通り作っているので、作っていない配色がないんじゃないですかね。

-素材などによっては重かったりしますよね

ビッグマッチとかで使う羽がついたマスクも、僕が自分で海外に注文しています。ワシントン条約にひっかかるんじゃないか、というぐらいのすごい量を取り寄せて、日本でリメークしてもらって作ってます。

-必ず入れるモチーフなどこだわりは

今は「武士」の文字。09年から入れてます。1年前からは「湘南乃風」のロゴを書いた方にお願いした字を使っています。10年前にメキシコにいたころは「武士」の文字もなかった。どんどん進化して、今の形になっています。常にリノベーションなんですよ。

-金属の丸いリングも気になります

これは、ラ・ソンブラ(メキシコのロスインゴメンバーで、現WWEのアンドラーデ)がつけていたものです。2013か14年かな?僕がメキシコ行っている時に試合を見ていて「でっかいピアスつけたまま試合してるな」って思って、本人に聞いたんですよ。そうしたら「違うよ、アクセサリーだよ」と。その後、15年にラ・ソンブラが試合で負けてマスクを脱ぎました。彼と交流があったので、16年にハポンに入った時にラ・ソンブラのデザインを取り入れて、彼の魂をマスクに入れました。プロレスもマスクも物語がある。

-マスクのアイデアはどこから

カラベラ(骸骨)などメキシコのモチーフはもちろん、映画からもヒントをもらったりしています。ガンダム、エヴァンゲリオン、仮面ライダーを見て、配色を参考にしたり。

-BUSHI選手にとってマスクとはなんですか

生き甲斐じゃないですか。四六時中考えてます。もちろんプロレスのことも考えてますけど、その分マスクのことも考えています。いつどこでどのマスクにするか、いつ届くか。それを1人で組み立ててるわけですよ。ノーマスク、ノーライフです。

◆BUSHI 1983年(昭58)4月5日生まれ。東京都足立区出身。全日本からのレンタル移籍を経て13年1月18日に新日本に移籍。主なタイトルはIWGPジュニアヘビー級王座、同タッグ王座。得意技はエムエックス、ファイヤーバードスプラッシュ、ブシロール、毒霧。172センチ、83キロ。