ロック歌手、内田裕也さん(享年79)が死去した。破天荒なキャラクターとパワフルな言動で多くの人に愛されたスターだった。私もかつて「本人から抗議電話」という形で裕也さんの人柄に触れたことがあるのでメモしておきたい。

裕也さんが指摘してきたのは、89年に矢沢永吉さんが東京ドームで行ったコンサートの記事。新人女性記者の目線で永ちゃんのエネルギッシュなステージを伝える署名記事だった。無双のパフォーマンスという意味で「日本にはこの人しかいない」という見出しがついたが、これに怒って「日本には内田裕也がいるだろう」と、直接電話をかけてきたのだ。

代表電話から「内田裕也さんから電話です」とつながれてたまげたけれど、事務所やレコード会社経由ではなく、直接本人が電話してくる行動力にもたまげた。こちらが女性のせいか、口調は非常に紳士的。内容は「矢沢永吉だけ見て『この人しかいない』とは何事であるか」「ロック界には内田裕也がいることを忘れてはいけない」というものだった。

ちなみにこの日の芸能面の頭記事は「ローリング・ストーンズ来日公演決定」。裕也さんにとっては、敬愛するローリング・ストーンズと同じ紙面で「日本には永ちゃんしかいない」とレイアウトされていたため、プライド的にカチンときたのかもしれない。

誤報を飛ばしたわけではないのでひたすらご意見を拝聴するしかないのだが、あの内田裕也と何のやりとりをしているんだという状況がおもしろく、「おっしゃる通りです」「日本のロック界には内田裕也さんがいます」。「分かればいいんだ、よろしく」みたいなノリでさくっと終了したが、ロックンローラーの強烈な自意識と筋の通し方に一貫性があり、芸能記者としては大いに勉強になった。

ついでに言えば、裕也さんはかなりの新聞好きだった。先輩記者によると、映画関連の会見などでは、壇上から各紙の担当記者の点呼をとり「後で楽屋へ」と、二重に取材の場をサービスすることもよくあったという。90年2月のローリング・ストーンズ来日公演では、裕也さんが交際中の女優と観賞したことで東京ドームにマスコミが殺到して大混乱となった中、「新聞はいるか!」。よく分からないうちにあれこれ答え始め、現場に不思議な秩序ができたのを覚えている。

西麻布のバーで酔ってひっくり返って店員に起こされているのを見たこともあるし、銀座のウインズ(場外勝馬投票券発売所)ですごいオーラを放っているのを見掛けて思わず「当たったら取材させてください」とお願いしたこともある。特に担当ではない、通りすがりの記者でもこれだけの印象が残っているわけで、親交があった人は思い出が尽きないだろうと思う。個性にただただ圧倒されるばかりである。

【梅田恵子】(B面★梅ちゃんねる/ニッカンスポーツ・コム芸能記者コラム)