21日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった歌舞伎俳優坂東三津五郎さん(享年59)の葬儀・告別式が25日、東京・青山葬儀所で営まれた。長男で喪主を務めた歌舞伎俳優の坂東巳之助(25)はあいさつで、ひつぎに納めたものや父との秘話を明かした。弔辞は尾上菊五郎(72)らが読み、一般ファンを含め約5000人が参列した。

 前日24日に荼毘(だび)に付された三津五郎さんのひつぎには、舞踊の名作「喜撰(きせん)」の小道具、花錫杖(しゃくじょう)と姉さんかぶりと呼ばれるかぶり物が納められた。「喜撰」は三津五郎さんが13年6月、歌舞伎座のこけら落とし公演で踊った演目でもある。

 巳之助は喪主あいさつで「荼毘に付すにあたり、当家の弟子たちから思いがけない話を聞きました」と切り出した。三津五郎さんは小道具を手に歌舞伎座の花道で「俺が死んだらこれを棺おけに入れてくれ」と弟子たちに言ったという。巳之助は「病気も見つからず、健康そのものだった時。本人の望み通りひつぎに入れることができました」。

 三津五郎さんが、代表作「喜撰」について「俺のニンじゃないと思う」と語っていたことも明かした。「ニン」とは、役者のもつキャラクターと役とが一致すること。「父の本心であったとするなら、よくあそこまで。誰にでもできる努力を、誰にもできないほど積み重ねた結果の芸」と声を詰まらせ、父をたたえた。

 芸道と対比させ、私生活にも触れた。「プライベートでは芸の真面目さはどこにいってしまったんだというほど自由でした。いらぬ苦労をしたこともありました。オンとオフのおかげで楽しい思いをしました」。元宝塚女優寿ひずるとの離婚、元フジテレビアナウンサー近藤サトとの再婚と離婚もあったが、それも三津五郎さんの人柄を示すものだった。巳之助は、歌舞伎や父から距離を置いた時期もあったが、氷解した。「まだ教えてもらわなければいけない。まだまだたくさん遊びたかった」と言って泣いた。

 戒名は「香芸院爽進日寿居士(こうげいいんそうしんにちじゅこじ)」。香り立つような芸、さわやかな人柄を表した。遺骨が葬儀所を出る際、参列者から「大和屋!」と声が掛かった。芸道に精進し、多趣味で粋。文字通りさわやかな香りを残し、三津五郎さんは旅立った。