日本映画を代表するカメラマンの1人、仙元誠三さんが先日亡くなった。81歳。松田優作さん主演の「野獣死すべし」や「蘇える金狼」などを撮影し、取材する機会も多かった。

この10年は現場から遠ざかっていたが、4年前の「さらば あぶない刑事」では盟友、村川透監督の誘いで撮影に参加。元気な姿を見せた。それから間もない頃、都内で行われた「角川映画祭」でインタビューしたのが最後の取材となった。

70、80年代に娯楽映画の代名詞だった角川映画48本のうち、仙元さんは11本でカメラマンを務めている。「熱気があり、時間もぜいたくに使った。アクシデントも取りこんで迫力ある映像につながった」と当時を振り返った仙元さんは、年下の監督の無理難題にも泰然自若と応じていた印象がある。

今でも鮮明に覚えているのは薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」(81年)の撮影現場だ。メガホンを取った相米慎二監督はカットを割らずに撮影を続ける長回しで知られる。

新宿で行われた深夜撮影では、ヒロインが公園を走り、路上に出て、最後は若者がハンドルを握るバイクの後ろに乗って疾走するというシーンがあった。相米監督はこれを途切れることなく一気に撮影しようとしていた。

仙元さんは動じない。スタッフとともにプランを練り、スペースに余裕のある公園内はレールを敷き、道が細くなったところではリヤカーにカメラを移し、最後の路上は軽トラにカメラを乗せてバイクをとらえるという方法を考えた。もちろん、移し替える時もカメラは止めない。照明、音声…十数人のスタッフの複雑怪奇な「大移動」が実行され、その中心に仙元さんがいた。

記憶では1回の撮影で監督の「OK」が出た。スタッフと一緒に思わず拍手したことを覚えているが、仙元さんはふーっと静かに息を吐き、かすかにほほ笑んだだけだった。

この映画には、後に「カイカ~ン」のCMにも使用された薬師丸の「流血」映像もあった。

4年前のインタビューでは「あれはタイトルそのままの機関銃の銃撃シーンでね。何かの破片がひろ子のほおに当たっちゃったんだ。恒さん(渡瀬恒彦=共演)をはじめ、みんな真っ青になって心配したけど、相米はカットをかけない。僕はと言えば内心『しめた』と思った。相米と僕だけはすごい絵(映像)が撮れたと興奮していたんだね。やだね映画屋は(笑い)。もちろん、ひろ子のことはすごく心配で、すぐに病院に運んだんですけどね」と明かした。

最近では一眼レフはもちろん、iPhone(アイフォーン)でも映画が撮られることがある。軽量化され、フィルム交換をはじめとする面倒も減った。仙元さんのイメージはこの軽量化とは対極にある。やっかいで大ぶりな撮影用カメラが似合った。「映画屋」を象徴する人がまた1人逝ってしまった。