元ヴェルディ川崎(現J2東京ヴェルディ)GKで93、94年のリーグ連覇を支えた藤川孝幸さんが15日に亡くなったことが20日、分かった。56歳だった。川崎市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を実施する。社長を務める北海道リーグ「北海道十勝スカイアース」が発表した。藤川さんは4月に末期の胃がんで余命3カ月と宣告されたと公表。全身8カ所に転移も、治療を続けていた。

V川崎の前身、読売クラブで中学時代からともにプレーした盟友の都並敏史氏によると、藤川さんは7月頃から「元気だけど食べられなくなった」と漏らし、9月には自宅の関東に戻って免疫療法を続けていた。その後、容体が悪化し、痛みを和らげる緩和病棟のある病院に入院。都並氏が面会した今月9、12日には意識がもうろうとし「分かるか?」と声をかけても「あぁっ」と返すのがやっとの状態だった。そして15日に、病室で妻子から感謝の言葉をかけられると、混濁する意識の中、涙を流して亡くなったという。

藤川さんは、読売クラブの下部組織から80年にトップチームに昇格。後輩の菊池新吉(現川崎Fコーチ)との激しい定位置争いを経て、93年に開幕したJリーグでは控えに回ったが、ひょうきんなキャラクターで注目され、テレビのバラエティー番組に出演。日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、高校サッカーの名門・帝京高(東京)OBの木梨憲武とのPK対決にラモス瑠偉らと出演。お茶の間を盛り上げ、Jリーグを一般に認知させた功労者だった。95年の引退後はV川崎、ヴィッセル神戸などでコーチを務めた。

5月26日には東京・味の素スタジアムで、東京V-愛媛FC戦の前座で「藤川孝幸激励マッチ」が開催され、武田修宏氏、永井秀樹氏らOB40人が集まり、試合後は熱い抱擁を交わした。藤川さんは「17年末で胃がんだけで4・5センチ、リンパも8センチ、それ以外の7カ所も3センチくらいのがんがある。医師から『どうしようもない状態で余命3カ月』と言われた。でも良くなってきている。何とか奇跡を起こして、みんなに恩返ししたい」と回復を誓った。それから約半年後の、早すぎる死だった。