川崎フロンターレMFジョアン・シミッチ(30)には、会いたい人がいる-。
5月のJリーグ30周年記念マッチの企画で、シミッチにインタビューを申し込んだ。その時、シミッチが1枚の画像を見せてくれた。そこにはサンパウロのシャツを着たブラジル人の少年と、ポロシャツを着る日本人の男の子が肩を組んで写っていた。
話を聞くと、実はシミッチは18年前の夏、日本に遠征で来たことがあるという。取材を重ねると、出場したのは静岡で開催されていた「静岡世界少年サッカー大会」だった。県の担当者によれば、02年日韓ワールドカップ(W杯)の開催地に日本サッカー協会(JFA)から分配される開催記念基金の費用が開催費の一部となって行われていた大会だという。県の東西南北の選抜チームに加え、ヨーロッパやアフリカ、アジア、南米など世界各国のチームを招待する大会に、サンパウロU-12の一員としてシミッチは参加していたようだった。シミッチは18年前の記憶をたどりながら懐かしそうに言った。
「どこのチームが参加していたかは覚えていないけれど、決勝でバルセロナと対戦したのは覚えています。20日くらい滞在したかな。12歳でブラジルから出たことがなかったので、いろいろなことに驚きました。日本とブラジルは衝撃的な違いがありました。すごくいい経験だったなと思います」
遠征の最後にホームステイをしたという。当初のプログラムにはなく、急に決まったため、言語も通じず不安だった。冒頭の写真はホームステイ先の家族と写ったものだった。
「何をしゃべっているか全然わからないし、隠れて大泣きした覚えがあります(笑い)。夜、ホームステイ先に着いて、パジャマをもらって、自分が着ていた服を洗ってくれました。その当時ブラジルに乾燥機というものが普及していなくて、自分の服を洗濯し始めたから『こんな夜に洗濯したら明日までに乾かないんじゃないか』って不安になりました。次の日、朝起きたら、しっかり乾いてたたまれていて、ずっとどうやって乾かしたんだろうって、当時考えていました(笑い)」
複数の家族と焼き肉店にいったことも覚えているという。「今はすっかり慣れたけど、大きな地震を初体験してビックリした」。
写真の日本人の男の子が右胸に横浜F・マリノスのエンブレムをつけていることを指摘すると、シミッチのテンションが上がった。「彼がその大会に出ていたかは分からないけど、練習試合の対戦相手の子の家にホームステイしました。まだ(プロで)プレーしていたら本当にすごい! もし見つけてくれたら夕食をごちそうしますよ!」。
川崎Fのスタッフが、横浜のスタッフに連絡し、当時の指導者に行き着いた。すると、奇跡のような展開でこの2人が出会っていたことが判明した。現在は中国スーパーリーグの梅州客家で教育ダイレクターを務める川合学さんは、当時横浜F・マリノスU-12を率いていた。その年、チームは全国大会で優勝し、世界の強豪クラブと対戦できる「静岡世界少年サッカー大会」に参加したかったという。大会事務局に参加したい旨を伝えるも、予算の関係で断られてしまった。そこで川合さんとコーチが2人で、静岡・エコパスタジアムで行われたサンパウロ対バルセロナの決勝戦を視察しに行ったという。そこで見た両チームのレベルの高さに仰天し、担当者に、なんとかどちらかのチームと試合経験を積ませてもらえないかと懇願した。しかし、スケジュールの都合で断られてしまった。
泣く泣く横浜に帰ると、先の担当者から連絡をもらったという。成田空港からブラジルに帰る前に、2日間スケジュールの空きが出たため、そこまでの移動費と宿泊費を負担するなら、サンパウロと試合をすることが可能だと。横浜F・マリノスからは10万円の支援があり、スタッフ分の移動宿泊費はまかなえたが、子どもたちの費用が足りなかった。そこで、横浜U-12の子どもたちの家庭に説明し、ホームステイの協力を仰いだという。川合さんがうれしそうに振り返る。
「こんなチャンスは2度とないので、と頼み込みましたね(笑い)。1日目は日産スタジアムの横のグランドで、マリノス対サンパウロ。ホームステイして、2日目はごちゃ混ぜで試合をしました。マリノスの子たちは、その数日後に公式戦があったんですけど、僕たちの教えるサッカーじゃなくて、その2日でブラジルのリズムのようなものが身についていた。これじゃコーチいらないじゃんってなったんですよ(笑い)」
こうしてシミッチと先の少年の出会いが生まれたのだった。
シミッチは19年に名古屋グランパスへ移籍し、14年ぶりの来日を果たした。21年からは川崎Fに移り、日本でのプレーは5シーズン目に突入した。幼顔のサッカー少年たちは、三十路(みそじ)の大人に成長した。くしくもJリーグ誕生と同じ年に生まれた2人。02年に日本でW杯が開催されていなかったら、サンパウロは来日していなかっただろう。その大会で優勝したのが、シミッチの母国・ブラジルだったことも、この物語をより豊かにするいいエッセンスとなっている。サッカーが引き寄せた不思議な縁。シミッチは18年ぶりの再会を望んでいる。
「もし向こうが望んでくれて、自分と会ってくれるのであれば、うれしいなと思います。まずは彼のベッドで寝かせてくれたことに感謝しなければいけないですね(笑い)」
シーズンオフ、シミッチがブラジルに帰る前に、この2人の再会がなんとか実現することを、同じ30歳の記者は願っている。【佐藤成】



