FC町田ゼルビアが連覇を狙ったヴィッセル神戸を3-1で下し、初優勝を飾った。FW藤尾翔太の2得点にFW相馬勇紀もゴールを挙げると、強度の高い攻守でJリーグ界の“ラスボス”をのみ込んだ。青森山田高を常勝軍団に育てた高校サッカー界の名将・黒田剛監督(55)が、再び聖地国立で勝負強さを発揮。就任3年目でプロの世界でも頂点に立った。異端の指揮官のもと急成長を遂げる町田は、新時代に向けて大きな一歩を刻んだ。町田は優勝賞金1億5000万円も獲得した。
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夢にまで見たプロでの日本一。しかし涙は出なかった。ベンチ前でスタッフで肩を組み、輪になって回った。喜び爆発と言うより安堵(あんど)感。黒田監督は自らに課されたミッションを全うした。「天皇杯という名誉ある大会で金メダルを獲得。本当に絵に描いたようなストーリーを最後に選手たちが自分たちの力でたぐり寄せてくれた」。
一発勝負のトーナメント戦、その国立での大一番。黒田監督にとっては格好の舞台だった。「ファイナルの重圧がかかったゲーム。最初の15分で試合は動く」。青森山田高で挑み続けた全国選手権の経験則からだった。試合前のロッカーで、W杯経験者の昌子や相馬らの選手たちに向かって自身の経験や考えを事細かく伝えた。「帝京の古沼先生、国見の小嶺先生。私がお世話になった先人の方々が国立の魔物についてよく語られた。実際にこの15分までに本当に予期しない失点が勝負を左右する」。
狙い通り前半6分に神戸のスキを突いて先制すると、同32分には素早い縦展開から相馬が加点。持ち前の強度の高い攻守で激しく戦い、セカンドボール回収からの縦攻撃で王者をのみ込んだ。「準決勝が終わった後に古沼先生から電話があった。黒ちゃん、すごいよって」。国立決戦には最高のカンフル剤を得ていた。
高校サッカーからプロの世界へ。常識破りの就任だった。J2で15位だった3年前、親会社サイバーエージェントの藤田晋社長からオファーが届いた。辣腕(らつわん)の経営者は革新的な変化を求めた。「他クラブと同じことをやったら意味がない」。ビジネスの世界で言う「比較戦略」の視点だった。人がやらないことをやる「先取りの精神」。かつて「ウォークマン」で世界制覇したソニーのように、新たな産業創造として町田は黒田剛という“未知の未来”に懸けた。
「プロは甘くない」「通用しない」。当然のように否定的な声が出た中、1年目でJ2を独走で制した。スキのない堅守速攻。2年目の昨季はJ1初昇格で優勝争いしての3位。青森山田高時代から重用するロングスロー戦術にも批判が集中したが、自分たちの戦い方は貫いた。そして今季はACLエリートを戦い、天皇杯のカップをつかんだ。「我々がやってきたことは間違いではなかった。プロである以上、勝負に徹していくし、細部にこだわっていく。勝利至上主義という言葉ではなく、やり抜いた先に勝利が手に入れられる」。異端の指揮官は、タイトルを持って自らの手法を正解とした。【佐藤隆志】
◆黒田剛(くろだ・ごう)1970年(昭45)5月26日生まれ、札幌市出身。登別大谷(現北海道大谷室蘭)-大体大。94年、青森山田高のコーチに就任し、95年から監督を務める。全国総体は2度(05、21年)、全国選手権は3度(16、18、21年度)の優勝。23年に当時J2の町田監督に就任し、1年目で優勝。初昇格となった24年のJ1は3位でACLエリート出場権を獲得。尊敬する人物は元日本代表監督の岡田武史氏。家族は夫人と1男1女。愛犬家。



