懐古的なようで斬新なチェルシー・ランパード監督就任

<フットボールの母国から>

去る7月4日、場所はスタンフォード・ブリッジのメインスタンド3階にある大広間。チェルシーと3年契約で監督就任が決まったフランク・ランパードは、正面右手のドアから神妙な面持ちで会見場に入ってきた。ズボンのポケットに両手を突っ込んだスーツ姿は、ダービー(2部)で指揮を執った昨季、ベンチ前で戦況を見つめていた姿と同じ。しかし、この日は2歩、3歩と足を進めるうちに笑みがこぼれた。

ひな壇正面の最前列に座るクラブ役員の中には、かつてのチームメートで、一足先に『テクニカル&パフォーマンス・アドバイザー』としてチェルシーに戻った元GKのペトル・チェフもいた。その周囲には、やはり見慣れた顔の記者陣とテレビやラジオのリポーターたち。監督歴1年のランパードにとって、ビッグクラブでの指揮は未知の領域だが、その新任地は、MFとして13年間を過ごした懐かしの“ホーム”だ。「夢のポストに就いた? 」との質問に「いや、過去最大のチャレンジを迎えた」と答え、「『夢の仕事』だと言えば最高の見出しになるのだろうけど」と言って報道陣を笑わせるなど、言うべきことを言い、時には冗談も織り交ぜる様子は、記者が5、6人しかなかったこともある、昨季ダービーでの試合後会見よりもリラックスしているように見えた。

それだけに、ちまたには今回の就任を「センチメンタルな人事」と呼ぶ声もある。確かに、マウリツィオ・サッリ体制での昨季中、ホームゲームでブーイングややじが飛んだ監督とサポーターとの溝は、チェルシーの主軸として主要タイトル計11冠に輝き、MFにしてクラブ歴代得点王にも上り詰めた英雄の帰還とともに埋まったと言える。最大のスターだったエデン・アザールのRマドリード移籍、FIFAによる今夏の補強禁止処分(控訴結果によっては今冬も)に伴う心痛も、一時的に忘れられた感がある。ファンの敬愛ぶりは、就任会見当日、正式発表から数時間後で平日の昼間だったにもかかわらず、ファンを当て込んだ露天商が、スタジアム最寄り駅の前でランパードの名前と「レジェンド」の文字が入ったマフラーを売っていたほどだ。

だが今回の就任は、同時に過去と一線を画す監督人事でもある。ランパードは、03年のクラブ買収でチェルシーに黄金期をもたらした現オーナー、ロマン・アブラモビッチの下で任務に当たる16人目の指揮官(暫定監督含む)。その中に、コーチとしての正式な経験すらない「監督2年生」など他にはいない。OBの新監督指名としても第1号。7年前のロベルト・ディ・マッテオはいるが、元イタリア代表MFは、CL優勝という予想外の成果がなければ、数カ月間の暫定指揮で終わるはずだった。そして、アブラモビッチ政権下に招かれた初のイングランド人監督でもある。

生まれ故郷である東ロンドンで、ウェストハムのユースから1軍に上がった過去を持つランパードは、以前から若手起用の支持者だった。自身が、まだ移籍3年目の25歳だったチェルシーで、アブラモビッチの財力を後ろ盾に外国人即戦力が続々と購入される「ロシア革命」が始まった当時、「革命なんて起きなきゃよかったのに」と、仲間内で嘆いたことを自伝の中で認めてもいる。そのランパードにすれば、補強が許されない現状は、来季の目標となるトップ4(CL出場圏内)維持に挑む指揮官としてはハンディだが、ユース出身者を使って育てたい指導者としては好都合とも考えられる。

事実、今世紀のチェルシー史で、ランパード新体制ほど若手登用の意思が感じられるチームスタッフ構成は珍しい。同い年の元チームメートで、ダービーでも右腕を務めた助監督のジョディ・モリスは、自らもチェルシーで育成された元U18チーム監督。同じく前任地から帯同のクリス・ジョーンズも、チェルシーのアカデミー指導経験を持つコーチ。コーチ陣を補佐するジョー・エドワードは、選手とコーチの双方でアカデミーに在籍した過去とを持ち、元1軍選手のエディ・ニュートンは、レンタル放出選手のお目付け役からコーチに昇格している。

もっとも、ランパードには小学生時代から現役終盤まで、左右両刀のタッチやシュートを磨く努力を続けた「練習の虫」という一面もある。新監督として、「1軍に引き上げる保証などできない。通用する実力の持ち主だと証明してもらわなければ」と、若手の扱いについて語ってもいる。ユースからの進路を「狭い小道」と表現した指揮官の脳裏には、ロンドン郊外南西部にある通い慣れたチェルシーの練習場で、物理的に幅5メートルほどの道が1軍施設とアカデミー施設を隔てている光景が浮かんでいたかもしれない。

入り口を入り、向かって左手にあるアカデミーからは、就任翌日から始まったアイルランド遠征に19人の卒業生がメンバーとして含まれている(執筆時点)。プレシーズン中の若手の多さは毎年のことだが、今夏ほどユース出身組のアピールが注目されるプレシーズンはチェルシーでは異例。昨季までのような大量レンタル放出要員ではなく、1軍メンバーとして来季を過ごす可能性が高まったのだから。

ただし、そのためには、クラブ経営陣にも過去との違いを示してもらう必要がある。サッリも昨季限りとなったように、1、2年ごとに指揮官が変わるようでは、長期視野に基づく若手の1軍定着など至難の業。チェルシーでは、アブラモビッチ登場前に引き上げられていたジョン・テリー(現アストンビラ助監督)に続く、生え抜きの主力が現れずにいる。昨季に中盤のポジションを争うまでに成長したルーベン・ロフタス=チークは、けがで長期欠場中にもかかわらず新契約を結んだばかりだが、こうした動きも、従来は売り値をつり上げる手段とみなされてきたのが、「若手不毛」が長いチェルシーの現実だ。

クラブが、単なる強豪としてではなく、攻撃的スタイルを含む独自のアイデンティティーの確立を監督に求めるようになって15年近くがたつが、であればなおさら、自らもチェルシーを知り、チェルシーの血が通うユース出身者の1軍戦力化に意欲的な新監督に時間的な猶予が与えるべきだ。当人は、「特別扱いなど求めはしなかったし、欲しいとも思わない」と語っているが、現契約期間は最低線と言ってもよい。懐古的なようで実は斬新なランパードの監督就任。抜てきを決めたオーナー以下のフロントにも、過去と決別する意識を望みたい。(山中忍通信員)

◆山中忍(やまなか・しのぶ)1966年(昭41)生まれ。静岡県出身。青学大卒。94年渡欧。第2の故郷西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を時には自らの言葉で、時には訳文としてつづる。英国スポーツ記者協会及びフットボールライター協会会員。著書に「勝ち続ける男モウリーニョ」(カンゼン)、訳書に「夢と失望のスリー・ライオンズ」(ソル・メディア)など。