大学日本一を決める「甲子園ボウル」で悲願の初優勝を目指した早稲田大(早大=関東)が、関西学院大(関学大=関西)にまたしても屈した。

3年ぶり7回目の出場も初優勝ならず。この舞台での「関学」戦は16、18、19年大会に続いて4連敗となったが、オフェンスライン(OL)亀井理陽主将(4年)は「やるべきことはやれた」と目を真っ赤にしながらも胸を張った。

前半は守備陣が踏ん張った。FG2本に抑え、攻撃陣も最後にFGを決めて3点ビハインドで折り返す。最後は突き放されたが、第4クオーター(Q)にはRB花宮圭一郎(3年)が2タッチダウン(TD)ランを挙げた。

その走りと、関学大を上回るパス253ヤードをプロテクションで支えた亀井組のトップは「掲げた日本一という目標には届かなかったけれど、第4Qはやりたいことはできた」と完全燃焼した。

関学大の当たりの強さに仲間が面食らった中、184センチ、115キロは対等以上に渡り合った。ただ、チームとしては「関西」の壁を越えられなかった。春も含めて今季の3敗は全て関西勢の関学大、立命館大、関大。この日も「関学さんは感情の起伏がないというか最初から最後まで平常心だった。関東で優勝してから一喜一憂してきた自分たちとは、まだまだ差があった」と認めた。

それでも可能性は感じさせた。1月に主将就任。「あまり強く言えない性格の自分を(OL)笹隈(弘起)や(DL)金子(智哉)が支えてくれた」と副将や同期たちとコミュニケーションを取った。今月4日、準決勝の東北大戦(31-0)で苦しんだ後は感情を爆発させ、大一番に向けてリーダーシップを際立たせてきた。

スローガンの「一丸」も体現した。「達成できなかったから勝てなかったんですが」と悔やみながらも「やり切れた」と納得した。

「今の取り組みでは日本一になれないことが証明された。勝って最高の景色を見たかった。でも最高の仲間、同期、先輩後輩のおかげでここまで来られた。スター不在だからこそ一丸となって戦えた」

振り返れば、充実の4年間だった。「入部した時、自分たちの代は未経験者が多くて。甲子園に行けるのか、日本一になれるのか、とずっと心配だった」。言葉通り、攻撃ラインの先発5人のうち4人は高校まで野球部。4年生は全員で、自身も早実時代は球児。清宮幸太郎(日本ハム)の1学年下、同期のソフトバンク野村大樹とセンバツに2番手捕手として出場した。

肩と肘を痛めたこともあって、大学進学後はアメフトに転向した。「選択は間違っていなかった。当時の自分に感謝したい」。高校時代、さすがに出番はなかったものの大学1年の時、そして今回と3度の甲子園を経験。プレーしたのは初めてで「幼稚園のころから憧れていた舞台で、最高の試合ができた。清宮さんからは今週『日本一になってこい』とメッセージをいただいたり、野村からも『練習はものすごくきつい』とか見えない部分の話も聞いて刺激を受けてきた」。負けじと大学アメフト最高峰の甲子園の芝に上がり、ミルズ杯に輝いた関学大DLのトゥローターショーン礼(3年)や山本大地(4年)と真っ正面からぶつかった。

卒業後は、競技を続けない。「大学スポーツで人として成長したい、日本一を成し遂げたい、と全てをかけてきた。4年間やり切ることだけ考えてきたので社会人でプレーすることは考えていません」と就職先の業務に集中する。「個人としてはやりたいことができたし、十分通用したし、最高だったなと思えます」。創部89年目を引っ張ってきた亀井主将が夢のフィールドを満喫した。【木下淳】