初出場の元JRA騎手の高嶋活士(28=ドレッサージュ・ステーブル・テルイ)は得点率65・951%の15人中14位に終わり、目標の入賞(8位以内)には届かなかった。

9歳牝馬のヒュゼットビーエイチにまたがり、常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)を織り交ぜながら停止、後退も行った。駈歩の手前替えもスムーズで、円を描く動きも滑らかだった。一方で上位7人が70・0%以上の高スコアをたたき出した。高嶋の得点率は力を発揮してのものだが、ハイレベルの争いで順位は上がらなかった。

コンビを組んだヒュゼットビーエイチには「前進気勢があり活発で、人馬の一体感が取りやすい馬です。グレード4は3種の歩法があるクラスなのですが、とてもいい速歩や駈歩を見せてくれるので、とても心強いです。この素晴らしい馬の本来の力を出せるように頑張ります」と語っていた。

JRAの騎手として障害戦で落馬事故に遭い、通算244戦0勝と勝ち星に恵まれずにパラ馬術に転向。右半身まひ、高次脳機能障がいのハンディを背負い、当初は競馬と馬術の乗り方の違いに戸惑いながら、パラリンピックの大舞台に立つために馬に乗り続けきた。28歳と馬術選手としては若く24年パリ大会をはじめ、まだまだ将来がある。外国勢の厚い壁など、自国開催で得た大きな経験は間違いなく今後に生きる。

◆高嶋活士(たかしま・かつじ)1992年(平4)12月2日、千葉県市原市生まれ。JRA競馬学校騎手課程27期生として11年に美浦・柴崎勇厩舎所属でデビュー。JRA通算244戦0勝(うち障害39戦)、2着6回が最高。15年9月の現役引退直後から馬場馬術でパラリンピックを目指す。17年に日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援プログラムを活用してコカ・コーラボトラーズジャパンに入社。JRA競馬学校の同期には嶋田、杉原、藤懸、森一、横山和騎手らがいる。家族はなおみ夫人と2女。

◆パラリンピックの馬術競技 肢体不自由、視覚障がいの選手によって男女混合の馬場馬術として行われる。96年アトランタ大会から正式種目。演技の正確性と芸術性を争い、順位は複数の審判が採点して、その平均点(得点率)で決まる。個人規定の上位8人が30日の個人自由演技に進むことができる。28、29日は団体戦も実施される。選手は障がいの程度に応じて最も重いグレード1から最も軽いグレード5にクラスが分けられる。個人戦はクラスごとに順位を決定する。高嶋は障がいの程度が2番目に軽いグレード4で常歩、速歩、駈歩を織り交ぜて演技する。