東京オリンピック・パラリンピックが閉幕し、さまざまな思いが心を駆け巡った。最も印象に残ったのは、無観客試合だったことだ。

選手にとっても、関係者にとっても、このような大舞台で無観客というのは、今までに経験したことがないのではないだろうか。

国際大会ならば、小さなグランプリであっても、選手の家族や地元の方々が観客席を埋める。それによって、試合ならではの緊張感や盛り上がりをみせてくれる。そして、選手自身も気合が入り、最高のパフォーマンスにつながったりもする。

しかし、それが無かった今大会。人生を懸けた大舞台を、ずっとそばで支えてくれた家族や知人に見せたかった選手はたくさんいただろう。


ロンドン五輪で応援に来た友人と(中央が筆者)
ロンドン五輪で応援に来た友人と(中央が筆者)

私も「応援の力」にとても助けられた1人だ。

北京に比べて、何倍もつかみ取る事が大変だったロンドンオリンピック。たくさんの方々に支えられ、何とか出場権を獲得したが、飛び込み競技で日本代表となれたのは、私1人だった。

初めは「私が日本の飛び込み界を背負って戦うんだ」という強い気持ちを持って、試合に向けて練習に励んでいた。しかし、試合が近づくにつれ、どんどん焦りや不安の波が押し寄せてくる。それでも試合は待ってくれない。あっという間にオリンピック当日を迎えた。

競技前の選手紹介が始まった。予選では演技順通りにプールサイドを歩き、観客席に向かって手を振ってアピールする。前の選手の紹介が終わり、いよいよ自分の番。名前がコールされ、両手を大きく上にあげた。

そのとき「まいちゃーん!」という大きな声が会場に響いた。「聞き覚えのある声!」そして「日本語!」。観客席を見回すと、友人2人の姿が目に飛び込んできた。わざわざ現地まで応援に来てくれたのだ。

実は、友人たちがこそこそとチケットの手配をしようとしていることは、うすうす気づいていた。しかし、オリンピックでは最初にチケットが売り切れるほどの人気競技の飛び込み。さらには、オリンピック開催期間中に通常の何倍にも跳ね上がる旅費の事も考えると、本当に来られるのかどうか分からないまま、本番当日を迎えていたのだ。

「本当に見に来てくれたんだ」と涙が込み上げるほどのうれしさと、大きな安心感に包まれた。その瞬間、緊張でこわばっていた表情が一気に緩んだように感じた。

北京よりも難易度を上げて臨んだロンドンオリンピック。そんな中で、予選は8位で通過することができた。これは確実に、応援の力が私を支えてくれたからだと思っている。

ロンドンでは、どんな状況であろうと絶対に結果を残したいと思っていたし、取材などでもそう公言していた。しかし、本当は孤独で、心細くて、歯を食いしばりながら、ギリギリのところで立っていた。

そこに大きな支えとなって、私を包んでくれた友人の温かい声援。応援の力はつくづく大きいと感じた瞬間だった。

オリンピック選手ともなれば、メンタルが強いと思われるかもしれない。しかし、傷つくこともあれば、プレッシャーに押しつぶされそうな時もある。

応援とは、「もう限界かもしれない」とくじけそうな時にこそ、最後の力を振り絞るパワーをくれるもの。そして、自分でも信じられないほどの力を引き出してくれるもの。目には見えないが、とても大きな存在なのである。

2024年のパリでは、大声援の中で競技が出来る環境が整うことを、心から願っている。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)